【知道中国 2493回】                      二三・二・念六

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習159)

さて『現代資産階級的実用主義哲学』だが、これが難解極まりない。たとえば19世紀末にアメリカで生まれ20世紀初頭に花開いた実用主義哲学(=プラグマティズム)に関して、次のように説く。

――ある「事物」の概念を完全に理解するためには、それが実際にどのような効果を持つかだけを考えればよい。実際上の効果の有無が、その事物の概念を決定する。だから実際に効果が認められなかったら、その事物は存在しないことになる――

また、こうも説いている。

――19世紀末から20世紀初めにかけ、資本主義は帝国主義段階に発展した。資本による搾取と侵略戦争は空前の残虐さを見せるようになる。そこで帝国主義は搾取であろうが侵略であろうが、自らの行いが「合理的で正しいこと」を説明する哲学を求めるようになった。かくて「行動は必要であるゆえに産み出される。必要から産み出される行動は合理的であり、それゆえに帝国主義の必要性から発した侵略行為には合理性がある。実用主義哲学はこのような“行動哲学”によって帝国主義を弁護するのだ」――

 哲学を論じているだけあって、用語も文体も晦渋極まりなく頭を捻ることばかり。だが内容以上に考えされられたのが巻頭に置かれていていいはずの『毛主席語録』の一節だけでなく、批林の「ひ」の字も、批孔の「ひ」の字も見当たらない。

そのうえ本文を読んでも、著者の主張を補強するためにマルクスやエンゲルスの著作からの引用は多く見られるが、毛沢東のそれは極めて限定的で控え目という点も不思議といえば不思議と言える。

じつは『現代資産階級的実用主義哲学』は再版で、「個別の箇所を修正し、マルクス・レーニン主義古典著作からの引用に関しては新たな版本に基づいて修正を加えた」と特記されている。だが初版出版の63年を振り返って見れば、一端は失った権力の再奪取を目指し、毛沢東が配下の江青や張春橋、さらに上海市党委員会第一書記の柯慶施などを使って蠢動を始めた時期に当たる。それはまた毛沢東の権力が大後退し、替わって劉少奇と鄧小平の現実路線が政治の前面に躍り出て国民からの支持が高まった時期でもあったのだ。

58年、毛沢東は人民公社を全国に広め、鉄鋼大増産の道を妄進した。いわば現在の北朝鮮の親・子・孫の三代将軍サマ世襲王朝が目指す「強盛大国」のそれに近い。だが現実を無視した政治的熱狂だけで世の中が動くわけがない。「強盛」は夢のまた夢。過重な労働を「強制」され、国民の生活はズタズタ。4000万人ともいわれる餓死者すら生んでしまった。

そこで精神第一主義の毛沢東に代わって、一定の私有財産を認める政策を掲げた劉少奇と鄧小平が政治の実権を握り、疲弊した経済を立て直した結果、国民的支持を集めることとなる。旗色の悪くなった毛沢東とその周辺に劉少奇らへ“嫉妬心”の火が点いてメラメラを燃え広がり、やがて文革の劫火となって中国全土を焼け尽くすことになる。

 つまり『現代資産階級的実用主義哲学』の主張に従うなら、毛沢東が掲げた大躍進政策には「実際上の効果がな」く、「その事物は存在しないということ」を、劉少奇と鄧小平の現実路線が国民の前に明らかにしまったということになりかねない。

 そんな時代背景と政治的因縁の絡んだ書籍を毛沢東の権力絶頂期に再販しようというのだから、それなりの政治的意図が込められていると看做すことができるはず。

延々と難解な哲学論議が続くが、「物質と意識の相互関係といったような哲学上の根本問題は、まったくもって無意味だと、多くの実用主義者は公然と口にする。ブルジョワ階級〔中略〕から見れば、唯物主義なのか唯心主義かなどということを理解・弁別する必要は皆無だ。人びとは同じように商売し金儲けができる」の一節にはビックリ・ドッキリ。《QED》