【知道中国 2484回】                      二三・二・初二

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習150)

冒頭の『毛主席語録』の後に置かれた「出版者説明」に拠れば、『甲申三百年祭』は1944年に明朝末年の李自成が「領導した農民起義三百周年」を記念して、「郭沫若同志」が重慶の共産党系新聞『新華日報』に発表した後、「延安や他の解放区で単行本として出版された」とのこと。

さらに1944年に毛沢東は「我が党の歴史において、何回か大いなる驕傲が見られたが、それらは全て失敗している」「全党同志は、これら何回かの驕傲や失敗を全て鑑としなければならない」と教えている。かくして「もちろん同志にとって戒めとするものであり、再び勝利の折の驕傲の過ちを重ねて犯させないため」に、1972年1月の時点で『甲申三百年祭』の再版を行った、とのことだ。

ここで示された「驕傲や失敗」が何を指すのか。じつに意味深ではあるが、前年の71年9月のモンゴル草原での林彪夫妻らの謎の墜落死で終幕を迎えた一連の「林彪事件」を指していると捉えるなら、なにやら来るべき林彪批判の全国キャンペーンと平仄が合うようにも思える。

李自成の失敗の例を挙げて林彪事件の背景をソロッと公にする。もちろん罪の全てを林彪におっ被せて、ではあるが。まさに「借古諷今=古を借りて今を諷(あげつら)う」の手法を提供することで、郭沫若は来るべき国を挙げての林彪批判の先鞭役を果たしたとも考えられる。やはり郭沫若は転んでもタダでは起きそうにない。タヌキもタヌキ、大タヌキだ。

敵の機先を制して、先ず全面的に、しかも徹底した自己批判をハデに敢行する。これで敵を浮き足立たせ取り付く島を与えないばかりか攻撃の機を失った敵は攻撃の旗を畳んで引き下がり、臍を噛むしかない。かくて郭沫若の全作品は守られる。これが郭沫若が担った政治的役割であり、『甲申三百年祭』出版のカラクリではなかったか。

かく振り返りつつ些か穿った見方を許されるなら、彼は立ち回りの見事な、自己愛の権化だったことにはならないだろうか。郭沫若にとって守るべきは自らが書き繋いだ全作品であったと思える。

明末から一気に飛んで、次は毛沢東が「学ばなければならない歴史」として「特に重要である」と強調する「中国共産党の歴史と鴉片戦争以来の中国近代百年史」のうちの鴉片戦争を扱う『鴉片戦争』(宗華世 中華書局 9月)である。なお、同書は「歴史知識読物」叢書の一巻を構成している。

先ず掲げるのは、鴉片戦争の背景を「イギリスの侵略の魔の手が中国に向かって伸びてきた」ことを、鴉片戦争の背景として強調する。「伝統的な海賊式略奪精神」を帯びた英国資本家階級によって大量に送り込まれた鴉片の支払いのために銀が大量に英国に流出し、それが「天朝の国庫の収支と貨幣の流通を破壊してしまった。

そのうえに清朝政府部内には英国に内通する勢力や、恥知らずにも英国への投降を求める勢力などが蠢き、一部の人民が「中国人は帝国主義やその走狗にむざむざと屈服するわけがない頑強な反抗精神を示した」(「中国革命と中国共産党」『毛沢東選集 第4集』)。だが、最終的に中国は敗北し、「資本主義各国の中国侵略のための門戸を大きく開く」ことになってしまった。

鴉片戦争を起点に始まる中国の近代史は、「帝国主義と中国封建主義が手を携え、中国を半殖民地半封建に変質させる過程であり、同時に中国人民の帝国主義とその走狗に反抗する過程でもある」(「中国革命と中国共産党」『毛沢東選集 第4集』)そうだ。

やがて中国全土に澎湃と起こった反抗の嵐は、「太平天国農民革命」へと繋がる。《QED》