【知道中国 2481回】                      二三・一・念七

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習146)

かくして『秦始皇』は予定調和気味に、毛沢東が掲げる「人民、人民だけが世界歴史創造の原動力である」との「偉大なる真理」で閉じられることとなる。

だが、ここで素朴な疑問が湧く。そもそも「人民」とは具体的に誰を指すのか。誰が「人民」と出会い、言葉を交わし、その思いを汲み取り、それをどのような政治回路を通して現実政治に反映させるのか。「人民」は何処に住み、何を食べ、どんな仕事をしているのか。

毛沢東が「偉大なる領袖」、あるいは林彪が説いたとされる「人類史上空前の天才」であったにせよ、文革時代を生きた8億人前後の固有名詞を持った中国人の中から「人民」の典型を描き、平均像を選び出すことは不可能だろう。こう考えるなら、毛沢東の説くのは毛沢東が自らの頭の中に描き出した極めて理想化された「人民」――自己犠牲の塊(為人民服務/自力更生)――でしかなく、現実には存在するはずもないだろうに。

敢えて“好意的”に捉えるなら、毛沢東は自らが頭の中に架空の「人民」の像を描き出し、その「人民」に8億人を近づけようと粒々辛苦・悪戦苦闘した――これが、建国以来、毛沢東が間断なく進めた政治闘争の狙いであり、その“集大成”としての役割を担ったのが文革だった。言い換えるなら、絶対的な権力を掌握して以後の毛沢東が目指したのは“草民の人民化”とでも表現するに相応しい壮大な夢物語ではなかったか。

さすがの毛沢東だろうが、それは荒唐無稽に過ぎた。千差万別、いや億差兆別とも形容できそうな思いを抱き、時に日本人などが想像すらできないほどの振る舞いを見せて日々を生きる、それぞれの固有名詞を持つ8億の草民を、毛沢東が理想とする「人民」に生まれ変わらせることなど(「翻身」)不可能であることは、対外開放後の事実が教えてくれる。

儒教の理想では、並外れて優れた徳の持ち主が絶対聖の存在であり、絶対無謬とされる「天」の「子」つまり「天子」と呼ばれ、天子=皇帝が「天」の意志を五体に宿して政治を行い、それが理想の政治(徳治)となる。この時、「天」の対極に位置づけられる「老百姓(じんみん)」も絶対的に正しい存在とされる。ここで「天」=「老百姓」という図式が成り立つわけだが、問題は「天」であれ「老百姓」であれ、具体的には指し示されているわけではない。敢えて言うなら、「至聖」である孔子の頭の中に描かれているだけだろう。

となれば、結論を急ぎ過ぎるとは思うが、やはり毛沢東は一種の儒教信奉者に位置づけられるのではないか。どうやら毛沢東は孔子の、『毛主席語録』は『論語』の、それぞれ20世紀バージョンと思えるのだが。

毛沢東が絶対価値を置く「人民」と儒教の説く「老百姓」の関係については、いずれ詳細に論じたいと思うので、この話は、この辺で切り上げたい。

『秦始皇』に続くのが秦朝崩壊を導き、劉備と項羽の戦いを誘発し、やがて劉備による前漢王朝成立へと導くことになる「我が国歴史における最初の大規模な農民起義の指導者」である陳勝と呉広を描いた『陳勝 呉広』(洪世滌 上海人民出版社 5月)である。

「彼らは革命の先駆けとなる精神に富み、強暴を恐れず、先ず革命の大きな旗を高々と掲げ、秦末の農民革命の赤々と燃える烈火に火を点け、中国史上最初の農民革命政権を打ち立てた。農民の大群を組織・指揮して全国各地に勇躍として進軍し、戦いの矛先を始皇帝後継を頭とする秦王朝に突きつけ」、「陳勝・呉広に率いられた農民の大起義は地主階級に決定的な打撃を与え、封建経済の下部と上部の構造を痛撃し、社会の生産力の発展を促し、歴史を前進させた」

かくて『陳勝 呉広』は「中国の封建社会おいて、このような農民階級の闘争、農民起義、農民戦争こそが歴史発展の真の原動力となる」との毛沢東の教えで結ばれる。だが、「農民」の理想化が過ぎる。やはり毛沢東式ゴ都合主義の極みと言うしかないだろう。《QED》