【知道中国 2480回】                      二三・一・念五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習145)

拙稿2473回で取り上げた『毛主席的五篇哲学著作中的歴史事件和人物簡介』(人民出版社 72年2月)は「毛主席は歴史学習を一貫して重視してきた」と説き、その理由を「歴史学習は革命の導き手が指し示す革命の道理を我われがより的確に身につけ、内外における現在の階級闘争の形勢を正確に理解することを助け、かくして我われの階級闘争、路線闘争、プロレタリア独裁下での継続革命への覚悟を高める」と主張する。

ここで視点を換え、この考えに基づいて72年に出版された歴史学習用著作を、原始社会から近代まで時の流れに沿って読んでみようと思うが、果たして「我われの階級闘争、路線闘争、プロレタリア独裁下での継続革命への覚悟を高める」ことができるだろうか。

先ず取り上げるのが『原始社会』(史星 上海人民出版社 11月)である。

――マルクス主義が生まれたことによって、人類発展の100万年の歴史に初めて「科学的解釈」が下されることとなり、「上帝が世界を創造した」とか「英雄が歴史を創造した」といった類の搾取階級が捏造した戯言は完全に否定された。

マルクスの説く歴史唯物主義に拠れば、人類社会の発展には客観的な規律があり、人類社会は原始社会、奴隷社会、封建社会、資本主義社会を経た後、まさに社会主義、共産主義社会に向かって発展する。社会主義が必然的に資本主義に取って代わり、共産主義は必ずや全世界で勝利する。これこそが拒むことの出来ない歴史の規律である――

このように書き出された『原始社会』は、人類100万年の歴史においては労働が人類社会を創造したと、確固とした姿勢を打ち出す。

「原始社会の公社制度」のなかで、「原始人の群」は共同作業によって日々の営みを繰り返してきた。彼ら「原始人の思想意識は極めて素朴・単純であり、言語も未発達で、個人と集団、私有財産、搾取などに関しては知る由もなかった」のである。

だが生産力の発展と共に生産の分業化、経験・知識の差よる貧富の違いが生まれ、権力者が登場し、「原始社会の解体」が始まる。

かくして「社会の生産力が発展し、分業が拡大し物々交換が始まり、私有制度が起こり、原始社会の瓦解を招くに到る。私有制度は搾取と被搾取を生み出し、やがて社会には富める者と貧しい者、主人と奴隷、貴族と平民、資産家とプレタリアートが出現する。社会は搾取階級と被搾取階級に分断され、原始社会は解体され、奴隷制社会へと移行」した。

だから「我々は絶え間なく革命を繰り返し、前進し続けなければならない。全世界に共産主義を実現させるため、一生戦い続けよう!」

――以上が『原始社会』の骨子である。だが今から振り返ってみれば、一点一画崩すことなく綴られた“正調歴史唯物主義史観”には鼻白むばかり。だから色々と突っ込みどころがあるのだが、ここは先に進むことを優先し、次の『秦始皇』(洪世滌 上海人民出版社 5月)に転じたい。

『秦始皇』はマルクス主義の歴史唯物主義に基づく「科学的解釈」の立場から、秦の始皇帝の働きを次のように解釈してみせる。

「秦朝は歴史発展の趨勢に従い、各族人民の統一の求めに応じ、諸侯が分裂割拠する状況を取り除き、多民族による統一国家を打ち立てた。中央集権の封建国家体制を確立し、全国で郡と県による二段階の行政区画制度を推し進めた。これは我が国古代史上において確固とした先進的意義を持つ。これに続く漢朝の中央集権封建体制の基礎は秦朝に沿ったものであり」、漢以後の封建王朝は漢朝のそれを踏襲し改良を加えていった。

だが「圧迫があれば反抗がある」のが歴史の理。秦朝による農民圧迫は必然的に陳勝・呉広を先頭とする秦末の農民起義へと突き進む。だから「造反」は「有理」らしい。《QED》