【知道中国 2475回】                      二三・一・仲三

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習141)

だが、ブタは一筋縄ではいかなかった。餌をたらふく食わせ、水をたっぷり飲ませておけばいいわけでもない。そこで「思いも寄らぬことに、矛盾が次々に起こる」のであった。

170頭余りのブタを同じように育てている心算ではあったが、太ったのもいれば痩せたのもいる。改めて注意深く観察してみると、肝っ玉の太いブタもいれば小心ものもいる。厚かましいのもいれば、おとなしいのもいる。消極的なブタは餌にありつけないから太れない。そこで痩せたブタには別枠で餌を与えることにした。すると太りだすではないか。

これを『実践論』流に「旧い矛盾が解決すると、新しい矛盾が起こる」と表現すると、超悪臭の消えたブタ小屋が一気に思索の道場へと激変するかの錯覚に陥ってしまう。

毛が黄色く変色したブタは痒みを取ろうと壁や柵に体を擦り付ける。これは小便の湿気が皮膚に悪影響を与えるからだ。養豚小屋を頻繁に掃除し小便する場所を決めて習慣づけようとするが、ブタは飼育係の思いなんぞ全く気にしない。寒い冬になると、所構わず垂れ流す。困ったことだが手を拱いてもいられない。「こんなことで社会主義と社会主義建設に貢献できるのか」と健気にも自らを叱咤激励し、「実践、認識、再実践、再認識」と“弁証法的飼育法”を歩みだすことになる。

だが、そう小難しく考えることもない。ブタを気持ちよく太らせるためにブタの気持ちになればいいだけだろう。だが、それが難しいから毛沢東思想の手助けが必要となるのか。

『認真学習馬克思主義認識論  学習《実践論》例選』の姉妹編とも言えるのが『学会使用唯物弁証法  学習《矛盾論》例選』(中央党学校工農兵学哲学調査組編 人民出版社 6月)である。

 文革盛時ともいえる1970年前後、『人民日報』は全国各地の労働者・農民・兵士らが毛沢東の『矛盾論』を学び、日常生活の中で生かし役立てている様子を盛んに報じていた。「学会《矛盾論》例選」の副題を持つこの本は、そんな報告を集めている。

毛沢東の哲学は深淵無限だが、難解でも高踏でもない。『矛盾論』を真摯に学ぶことで、人民は日々身の回りで起こるような問題でも解決することができる――これが、『学会使用唯物弁証法  学習《矛盾論》例選』の狙い。つまり、人民の人民による人民のための『矛盾論』の活学活用具体例といったところだ。

 その典型例として「どのようにして死水(カラ水脈)から水を汲み出すことができたのか」という表題の報告を読んでみたい。

労働者は地下水脈を掘り当てたはずだった。が、砂は出てくるが水は揚がってこない。そこで地下水脈と砂の関係は「事物内部の矛盾する2つの関係であり、一定の条件の下では互いに相反する方向に変質する」(『矛盾論』)ことを学んだ労働者は、「大量の砂が堆積した際に砂は主要な矛盾となり、この時、地下水脈は死水へと変質する。机上の学問で問題を捉えると水脈と砂は別個の現象と思い込んで、地下水脈を枯れたものと誤解してしまう」。かくして「精神こそが物質を変化させる偉大な威力であることを明示し、唯物弁証法で世界を観察すれば、自然界の凡ての『死』んだ現象を新たに認識し改造できることを物語っている」ということになる。

 正直言ってチンプンカンプンで、なんのことやらワケが判らない。だが、当時は『矛盾論』を学習して売り上げを伸ばした道端スイカ売りの爺さんの話が全国に伝えられ信じられ、全土で『矛盾論』の学習が励行され、町や村に次々に哲学徒が生まれたと報じられたものだ。国を挙って哲学徒とは、やはり異様に過ぎる・・・哲学徒、粗製乱造、傍若無人!

 『学会使用唯物弁証法  学習《矛盾論》例選』に収められた報告の中での最高ケッサクは、やはり「巨大な化け物と張子のトラ」という表題の報告を措いて他にない。《QED》