【知道中国 2474回】 二三・一・仲一
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習140)
もう少し続けることにする。
■長征(1934年~35年)=「この時、紅軍は10万人から3万人足らずに激減した。我が共産党の力量は数量的には減少したが、反対に正しい路線によって質量的には強固になった。この3万人足らずの隊伍は党にとって最も宝貴な精華、中国人民にとってかけがえのない財産、中華民族の希望、そして中国革命を勝利のうちに発展させる支柱なのだ」
■国共内戦(1946年~49年)=「(49年10月1日)中華人民共和国の偉大な創造者、全国各民族人民の偉大な領袖の毛主席は天安門の楼上に上り、自ら五星紅旗を掲揚し、全世界に向けて中華人民共和国の光栄ある建国を厳かに告げた。中国人民は立ち上がった。偉大なる新中国は世界の東方に巍然と立った。この時より中国人民は新しい偉大な歴史段階に足を踏み出し、偉大なる毛主席の指導の下、プロレタリア階級独裁下の継続革命の航路に従って、荒波を蹴散らし、勝利のうちに前進する!」
――こうみてくると、おそらく現在の習近平指導部は「中国人民は新しい偉大な歴史段階に足を踏み出し、偉大なる毛主席の指導の下、プロレタリア階級独裁下の継続革命の航路に従って、荒波を蹴散らし、勝利のうちに前進する!」との信念を忠実に受け継いでいると胸を張っていることだろう。それにしても、ヤレヤレ・・・ではあるが。
では少しレベルを上げて(?)、次は『認真学習馬克思主義認識論 学習《実践論》例選』(人民出版社 2月)を取り上げてみたい。
編著者は共産党理論中枢の中央党校工農兵学哲学調査組である。ということは当時の共産党における理論面での最強の布陣――ならば、この本は当時の中国におけるマルクス主義と毛沢東思想研究の最高権威が示した最高の成果であり、同時に共産主義哲学の最高峰ということになるだろうか。
なにやら抽象的で難解の極みとも考えられるが、なにはともあれ目次を眺めてみると、「一、実践の観点は弁証法唯物論の認識論における第一の、そして基本的な観点である」「二、物質は精神を変質させ、精神は物質を変質させる」「三、実践、認識、再実践、再認識」「四、客観世界の改造は、自己の主観世界の改造でもある」
ヒトには頭脳という「思想加工工場」が備わっている。その工場をフル稼働させ弁証法唯物論的認識論に基づいて自覚的に実践をなすならば、「真知」を引き出すことができる。「調査なければ発言権なし」の毛沢東の教えに従い、地に足の着いた調査から得られた結果を正しく分析してこそ、ものごとの本質をはっきりと認識することができる。
このような過程を自覚的に繰り返すなら、経験主義の悪弊を打破し、刻苦勉励して唯物弁証法を身に着け、唯心論と形而上学を打ち破り、毛沢東思想を真面目に学習し世界観を改造することで、遂には毛主席の革命路線と闘争をしっかりと守り抜くことができる。
――これでは抽象的に過ぎ、理解が深まらない。そこで実践例が示される。
たとえば黒龍江省甘南県太平大隊の尹永徳は「養豚実践で弁証唯物論の使い方を会得する」と題する報告で、日常的で具体的に「マルクス主義の認識論を真面目に学習する」方法を次のように綴っている。
1969年8月、人民公社は彼をブタの飼育員に推薦すると共にブタの集団飼育を決定した。養豚などは未経験であり失敗したら公社に損害を与えると婉曲に辞退を申し出ると、「養豚の経験は養豚の実践のなかから創り出されるものだ。養豚実践は学習の好機となる。養豚せずして、どこで学ぼうというのか」と貧農下層中農出身の指導員に説得される。そこで「毛主席の哲学思想は私を武装し教育してくれる。私の養豚の決意は固まった」とハラを括って豚小屋へ足を踏み入れる。ブタを教師にした哲学学習が始まったのだ。《QED》