【知道中国 2471回】 二三・一・初五
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習137)
どうやら毛沢東は、「偉大なる導き手、英明なる領袖」「革命人民の心の太陽、心の内の真っ赤な太陽」などと拍馬屁(ヨイショ)された挙げ句の果てに「毛主席万歳! 万歳毛主席! 万歳、万歳、万歳、万歳、万々歳!万歳、万歳、毛主席! 万歳、万歳毛主席!」と全国津々浦々で歓呼され、持ち上げられても、一向に面映ゆくはなかったようだ。
だが、「偉大なる導き手、英明なる領袖」であっても、やはり寿命には逆らえない。1976年9月9日、「革命人民の心の太陽」は光を失い、「マルクスに見える」ために西の果てに没する。敢えて生得波乱・死得暗澹と表現しておきたい83年余の生涯であった。
一方、育ての親を失った「偉大なる中国共産党」ではあるが、「偉大で光栄で正しい」ままに、「偉大な革命の荒波を乗り越え」て、現在も「我らが事業の核心力量」として君臨し、猛威を振っている。じつに、じつに厄介なことではあるが、それが現実。それにしても、いったい、いつまで「偉大で光栄で正しい」姿を保ち続けることが出来るのか。
この年も前年に引き続き習字の手本である「字帖」が出版されている。手許に残るは『鋼筆行書字帖(二)』(上海書画社 6月)と『紀念白求恩 小楷字帖』(上海書画社 11月)の2冊。前者はボールペン書きの行書の手本で、革命現代京劇の歌詞が綴られている。後者は毛筆の小楷と呼ばれる書体の手本で、カナダ共産党員でアメリカ・カナダ両共産党から抗日戦争時に派遣され共産党兵士の治療に献身したとされる医師のベチューン(漢字で「白求恩」と綴る)を称える毛沢東の「紀念白求恩」が流麗な筆致で綴られている。
一方はボールペン習字で行書を学びながら「偉大なる導き手、英明なる領袖」や「偉大で光栄で正しい」共産党を称え揚げる革命現代京劇の歌詞を、一方は小楷を習いながら毛沢東の教えを脳髄に刻んでしまおう。一石二鳥と言うことだろうが、それにしても不思議なのが、文革は人々の日常生活における「四旧(旧い思想・文化・風俗・習慣)」を打破すべしと絶叫していたはず。習字なんぞは「四旧」に属するだろうが、打破すべきどころか逆に推奨されている始末だ。「四旧」のダブルスタンダードと言っておきたい。
文革とは、いや正確に表現するなら、革命の主体であるはずの中国人とは、なんとも不徹底で、じつに勝手気ままに振る舞うものだ。そう、力任せで勝手気ままなのだ。
72年12月に『革命故事(10)』(上海人民出版社)が出版されている。筆者は「六五五五部隊 鄭軒」。10cm×13.5cmで40頁の体裁。解放軍と人民の“水魚の交わり”を綴った「軍民橋下」「還棉衣」「水」の3つの物語が収められている。「(10)」ということはシリーズ化されてものだろう。内容・体裁からして解放軍下級兵士教育用と思える。
閑話休題。
ここらで“趣向”を換え、紅衛兵の回想録――『天讎 一個中国青年的自述』(凌耿 友聯書報発行公司)――を紹介してみたい。
文革終了から現在まで、元紅衛兵の回想録の類は数多く出版されているが、文革から一定時間が過ぎ、冷静な視点で一種の悔恨の思いを込めて記されているものが圧倒的に多い。その点、『天讎 一個中国青年的自述』は文革渦中の香港での出版であり、異例中の異例だ。文革の実態が中国の外部に漏れ伝わることが少なかっただけに、香港の書店で立ち読みした時に受けた衝撃は、半世紀余が過ぎた今でも忘れることはない。
「1966年6月1日早朝5時、家の近くでがなり立てる拡声器の音で目が覚めた。だが、寝ぼけ眼のまま。何を言っているのか。さっぱり聞き取れない。誰かの演説のようにも思えるし、拍手が鳴り響いているようでもあるし」
――こんな朝の風景ではじまる紅衛兵の回想録は、母親にそれとなく別れを告げ、68年7月19日に次兄と2人で夕暮れ時の廈門の海岸から泳ぎだす場面で終幕を迎える。《QED》