【知道中国 250回】 〇九・六・仲九
「愛国教育基地探訪(その12)」
―それを、誰も真顔では信じていないと思うが・・・―
日程6日目、承徳郊外の避暑山荘に向かう。名前が示すように皇帝が北京の夏を避けて暫しの微睡みを楽しんだようだが、さすが「大清帝国皇帝」の持ち物だっただけのことはある。万里の長城に似せたミニ長城が周囲10キロほどをぐるりと取り囲み、内側には小振りながら峻険な峰や穏やかな湖面の池を配し、さり気なく巧妙な細工を施した堅固な御殿が置かれている。皇帝が山紫水明を満喫できるようデザインされているわけだが、防備・機能からして王城そのもの。山荘というより塞外、つまり万里の長城の外側に設けられた”第2の紫禁城“というべきだ。どうりで清末混乱期、北京での難を避けようと、西太后が一時この地に身を潜めたはず。これを「熱河蒙塵」と呼ぶ。この地の別名は熱河。
こちらが西太后の遺品、あちらが同治帝が幽閉状態にあった居室などと案内されていると、心地よい香り。大人ですら一抱えもあるような柱から窓の桟に至るまで、すべてが香木製の御殿である。室内の玉座の上の扁額には「澹泊敬誠」と墨痕鮮やかに勇勁な4文字が躍る。乾隆帝の揮毫とのことだが、ガイドは「質素な日常を送らないかぎり、人民はついてこないと、皇帝が自らを戒めたことばです」と解説してくれた。これだけ贅を尽くして「澹泊尊誠」とは、なんともウソっぽい。とはいうものの、権力者が質素な生活で自らを律しているなどといったウソ臭さは、なにも乾隆帝に限ったことではないだろう。
たとえば台湾に逃れてから後の蒋介石である。「大陸反抗」を成し遂げるまでは贅沢はすまいと誓い茶を飲まずに白湯で通した、とか。一方の「偉大な領袖」の毛沢東も負けてはいない。給料は一般労働者と大差なく質素な生活を送り、常に人民に思いを致し、人民と共に在る指導者として振舞って見せた。ミエミエの政治宣伝であるにも拘わらず、日本でも盲信していたお人好しは少なくなかった。だが、バカも休み休みにしてもらいたい。
北京のど真ん中に在りながら緑濃い中南海に、一般労働者はプール付き邸宅は持てません。しかも、そこはかつての清朝皇帝の別邸だった。一般労働者が医者、コック、護衛付きで列車を連ねて全中国を気儘に旅行できるワケもなかった。お気に入りの地に、警戒厳重で敵の爆撃にも耐えうるような堅固な別荘を建てられるハズがない。加えるに彼は邸宅のあった中南海の銀行支店に個人口座を開き、『毛主席語録』やら『毛沢東選集』の印税を貯め込んでいたらしい。だから当時の中国では数少ない大富豪だったと、彼の侍医が伝えている。プロレタリアに『語録』や『選集』を売りつけての荒稼ぎ、というわけだ。
文化大革命期、天安門の楼上に登場した毛沢東を仰ぎみて、紅衛兵は「敬愛する毛主席が質素な軍服を着ているのをみたとき、感きわまった。毛主席は永遠にわれわれと共に闘っている」と感激の涙。これまたバカも休み休み願いたい。デザインは同じでも生地は最高級。これも最高権力者としてのゴマカシ、目くらましの政治宣伝テクニックそのもの。
一党独裁・全体主義国家における政治の枢要な柱が政治宣伝であることは、自明のこと。毛沢東・鄧小平・江沢民を経て現在の胡錦濤に至るまで、最高権力者は政治宣伝によって自らのイメージを人民に植え付けようと努める。そこで乾隆帝の「澹泊敬誠」に歴代共産党指導者のキャッチコピーが重なる。毛沢東の「為人民服務」に胡錦濤の「以人爲本」・・・なんともウソ臭いのだが有難くもある。そこで、コロッと騙されてしまう。(この項、続く) 《QED》