【知道中国 2466回】 二二・十二・念三
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習132)
古来、中国では権力者や金持の壮大な墓を掘り起こして副葬された金銀財宝を盗み取る盗掘が常態化していた。
だが、まさか「毛主席の革命路線の導きの下、広範なる労働者・農民・兵士大衆の支持と助力を得」た国家プロジェクト級の盗掘はないだろう。いかに「百戦百勝」と形容され讃えられた毛沢東思想でも、そこまではしないものと極々素直に、固く信じたい。
そこで注目したいのが、人民解放軍やら「当該地の革命大衆の通報」で発掘がなされたという指摘だ。かてて加えて、発掘場所が新疆のトルファンやら北辺のウスリー江流域、北京など軍事的要衝だという辺りも引っかかる。つまり地下軍事施設やら防空壕やら対ソ戦争を想定した軍事施設建設工事が、一連の遺跡発掘のキッカケではなかったのか。
じつは60年にソ連と決別する一方、62年頃からアメリカのヴェトナム戦争への介入が激化したことで、アメリカとソ連の2つの「帝国主義」による南北からの挟撃を恐れた毛沢東は、工業や軍事施設を内陸深奥部に移す「三線建設」と称する大プロジェクトに慌ただしく着手する。だが、これが毛沢東のような独裁者特有の一種の思いつきに過ぎず、文革の渦中で失速・頓挫してしまう。一連の考古文物発見の陰に三線建設あり、とも考えられるのだが。
それにしても合点がいかないのが、「四旧打破」を掲げ、旧い思想・文化・風習・習慣を徹底して破壊することを進めて文革期であったにもかかわらず、『文化大革命期間出土文物』にみられるように古い文物――まさに「四旧」の典型だろう――が民族の貴重な遺産として讃えられている点である。
だが、「毛主席の革命路線の導きの下、広範なる労働者・農民・兵士大衆の支持と助力を得」れば、全てがチャラとなってしまうらしい。オ手軽と言えばオ手軽であり、超身勝手と言えば超身勝手な言い草だとは思うが、それも彼ら中国人の生き方――広い意味で文化――と捉え直せば合点がいく。絶対矛盾の自己撞着。この得意ワザを忘れてはならない。
ここら辺りで視点を転じ、日常生活のなかに文革がどのように入り込んでいたかを考えて見たい。そこで、針麻酔に関する詳細な技術書『針刺麻酔』(《針刺麻酔》編写小組 上海人民出版社 12月)を取り上げることにする。
毛沢東の「中国の医薬学は偉大な宝庫である。発掘に努め、水準を高めるべきだ」との教えを受け、文革当時に大いに持て囃された医療部門が「針麻酔」であり、初歩的な医療技術を学んだだけで農山漁村での治療に勤しんだと喧伝された「はだしの医者」だった。
『針刺麻酔』は300頁を超える頁数であり、文革医学の最先端に位置する針麻酔に関する一切を収めているだけに、文革版伝統医療百科全書とも位置づけられよう。
経絡系統や穴(ツボ)の詳細を図示した大判の人体図や施術の模様を描いた多数のイラストが綴じ込まれ、眺めるだけでも楽しい。だが、さすがに医学専門書だけあって当然のように専門用語が多用されているから、面白さが半減してしまうのは致し方なし。
「前言」に拠れば、針麻酔は冒頭に記した毛沢東の指示を実践して生み出すことに成功した新しい医療技術であり、「プロレタリア文化大革命以来、格段の発展を遂げ、各地における大量の臨床実権と科学実験を経て数多くの経験を積み重ねた。目下、針麻酔技術は県、人民公社、工場や鉱山などの基層医療機関でも広く行われている」とのこと。
そこで「こういった新しい情況と各地関係者の切実なる要望に応ずるため」、「衛生部の委託を受け、上海第一医学院、上海第二医学院、上海師範大学、上海生理研究所、上海中医研究所、上海第一結核病院などの6機関によって」、『針刺麻酔』が執筆された。つまり執筆には当時の上海における「中国の医薬学」の最高スタッフが当たったわけだ。《QED》