【知道中国 2464回】 二二・十二・仲九
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習130)
文革は毛沢東と共産党をどのように形容していたのか。「歯の浮くような」なんぞは子供騙以下。ともかくも凄まじいばかり。屋上屋を何十回も重ねたような、顔から火が出るように恥ずかしいばかりの「拍馬屁(オベンチャラ)」のオンパレードである。
その一例を少数民族が毛沢東を称えた詩集『頌歌声声飛北京 ――少数民族詩歌選』(中央民族学院編 人民文学出版社 9月)、楽譜入りの『広東革命歌曲選 第一集』(広東省文芸創作室編 広東人民出版社 11月)、労働者・農民・兵士の作品を収めた『風展紅旗 工農兵詩選』(人民文学出版社 12月)から拾ってみた、
「毛主席は我々の心の中の真っ赤な太陽だ」
「偉大な、光栄に満ちた、正確な党に永遠についていきます」
「毛主席は天に通ずる黄金の橋を架けて下さった」
「毛主席の著作はキラキラと燦然と光り輝き、万丈の光芒は四方を照らす」
「偉大なる毛主席、あなた様は私どもの心の中の没することなき太陽です。あなた様の輝ける光は私どもの心の隅々までも明るく照らし、偉大なる思想は私どもを育てて下さり、お教えお導きは力の源であり、あなた様の路線は勝利を保障されています。〔中略〕千言万語も一句に尽きる。“毛主席の万寿無窮を冀わん!”」
「共産党の恩情は山の峰よりも高く、毛主席の照らす光は太陽よりも暖かい」
「毛主席は我らの救いの星、党の恩情は海よりも深い」
「共産党は各民族人民の大きな救いの星、毛主席の放つ光は太陽よりももっと耀く」
「毛主席は奴隷を苦海から救い出してくれた」
「革命を教え導く毛主席、祖国を守る解放軍」
「共産党の恩情は語り尽くせず、毛主席の恩情は唱い尽くせない」
「毛主席の指し示す道を歩き、党の号令により我らは帆を揚げる。東海の荒波を乗り越え、台湾に紅旗を打ち立てることを誓う」
「毛主席につき従えば、万里の山河は深紅に耀く」
「毛主席は純白の駿馬にうち跨がる。馬上凜々しく活き活きと、威風堂々勇ましい。手にした鞭で山河を指せば、風に紅旗は翻り、大地はまるで絵のような!」
――まだまだ続くが、これ以上続けても余り意味はなさそうだから、この辺で打ち止めにしたい。毛沢東がまるで北朝鮮の金正恩のように「純白の駿馬にうち跨がる」姿なんぞ想像するだけで吹き出したくなる。それにしても、ここまでくると呆れ果てるしかない。
それにしても文革当時、もちろん少数民族も含めてだが、中国の人々は毛沢東と共産党をここに示したように形容し、真顔で心底思い込んでいたのだろうか。まさか、である。面授腹背であったと信じたい。
とはいえ今から半世紀ほど昔、日本が高度経済成長に沸き立ち、アメリカ最高の知日派学者と言われたエズラ・ヴォーゲルに『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)などと煽てられ有頂天になっていた頃より数年前、中国では毛沢東を「純白の駿馬にうち跨が」らせ、絶対無謬・万能の神と崇め奉っていたことを、改めて記憶に留めておくべきだ。
ところで、ここだけの話、政権3期目に突入し、目の上のタンコブであった江沢民が没したことから、習近平は「純白の駿馬にうち跨が」る自分の姿を私かに想像し、独り悦に入っているなんてことは・・・まさか、まさか。
毛沢東に対するゴテゴテした賛辞にウンザリしたところで、“口直し”と言っては語弊があろうが、「ヴェトナム人民の偉大な領袖胡志明主席が漢文で綴った詩歌一百首を収」(「出版説明」)めた『“監獄日記”詩抄』(人民文学出版社 7月)を紹介しておきたい。《QED》