【知道中国 2458回】 二二・十二・初七
――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習124)
黄継光は四川省の極貧農家庭の生まれ。父親は地主に酷使され病気になるも医薬費もなく窮死。残されたのは、母親と7歳の彼と腹を空かしては泣きじゃくる弟の3人。
悲惨の極みを絵に描いたような日々を強いられながらも、彼は挫けない。「母さん、もう泣かないでくれ。手伝うって。雑草を喰らってでも生き抜いてやるって。恐れることなんて何もないんだって」
やがて彼も地主のところで働くことになるが、父親と同じで牛馬のように酷使される。ある日、地主の家の凶暴な番犬が、彼が弟と一緒に捕まえた魚とエビを食べてしまう。怒りに燃える彼は、素手で虎を退治した『水滸伝』の英雄・武松のように番犬を殴り殺す。地主の小間使いが役所に訴えてやると息巻くが、「貧乏人のおいらが、地主の狂犬を鉄拳で叩きのめしてやっただけさ」と、メラメラと怒りに燃えた眼差しで相手を射竦める。もちろん相手は縮み上がって為す術なし。やはり虐げられた階級の恨みは深いのだ。
やがて暗黒の季節は過ぎ去った。
「春雷が鳴り響き天を震わせ、救いの星・共産党がやって来た。毛主席の放つ光は群山を光り輝かせ、千年(えいえん)の奴隷は太陽に出会ったのである。ドドドンドン・・・何百何千の太鼓が一斉に歓喜の音を響かせ、山や村は歓声に包まれる」
「時移り目を転ずると、アメリカ帝国主義は朝鮮を侵す。朝鮮は我が好き隣邦であり、大地と心とで結ばれている。『アメリカを討て! 朝鮮を助けよ!』との声は高まる」。「苦しみの中で生まれ辛い日々を成長し、19年の歳月を故郷から出たことのなかった」ものの、「アメリカ帝国主義を倒さなければ故郷に戻らず」の固い決意を心中深く蔵し、彼は「抗美援朝」を掲げる志願軍に勇躍として参加する。いざ、朝鮮の戦場へ。
「銃を肩に胸を張って鴨緑江を渡る。そこは見渡す限りの焼土であり、母親は血涙の中に斃れ、赤子は泣き叫ぶ悲劇の地であった」。敵に対する憎悪はますます燃え盛る。
「バキューン、バキューン、バキューン・・・敵の弾に斃れた戦友の敵討ちだ。憎っくき敵のトーチカを、必ずや夜明け前までに突破するぞ」と、怒りの火玉となって最前線へ。
彼は部隊の先頭に立ち敵のトーチカに肉薄する。敵の銃弾に射抜かれるが、胸に怒りを滾らせながら立ち上がる。「しっかりと決心し犠牲を恐れるな。万難を排して勝利を勝ち取れ」との「毛主席の偉大な教えが、無限の力を与える」のであった。
ジリジリと敵のトーチカに近づき、「全身の力を振り絞って、手にした最後の手榴弾を投げつける」。だが破壊を免れた1門の機関銃で敵は必死に反撃してくる。前進を阻まれる戦友たち。彼は敢然と自らの体を捧げ敵のトーチカの銃眼を塞ぐ。「敵の銃声は沈黙した。黄継光の戦友は敵陣目掛けて怒濤のように襲いかかる。吶喊だ。英雄・黄継光のために敵討ちを・・・吶喊だ。ワーーッ」
戦死の後、彼は願っていたに共産党員として認められたばかりか、「中国人民志願軍特級英雄」「朝鮮民主主義人民共和国英雄」に加え、「中華人民共和国一級国旗勲章」を授与されるなど破格の扱いを受ける。かくて「あなたは永遠に我われの心に生きる。あなたは永遠に共産主義のために奮闘前進する我われを鼓舞してくれる」と大々的に顕彰され、一時は全国的な学習運動が熱狂的に展開されたものであった。
かくて雷峰、邱少雲などと共に“理想的社会主義青年”の仲間入りを果たした黄継光は、「血で結ばれた同盟」という中朝両国間の“神話”の一齣に組み込まれることとなった。
今から10数年前、黄継光が生まれた四川省の農村を訪ねたことがある。たしかに彼を称える巨大な全身像があったが、長く風雨に曝され薄汚れたまま。周囲には雑草が生い茂り、なにやら開放経済の波に見捨てられ・・・フト浮かんだのは寂寥の2文字だった。《QED》