【知道中国 2456回】                      二二・十二・初二

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習122)

ヴェトナム戦争に際し、「ヴェトナム人民の大後方」と自らを位置付けた中国は1965年から73年の間、「アメリカ帝国主義と闘うヴェトナム人民」のために、数百万丁の銃、数万門の大砲に加え、軍事施設建設、陣地構築、飛行場・鉄道・道路の修理と建設などを含む総額で16億ドルにも及ぶ軍事援助を行ったといわれる。もちろん、軍事要員も。一部に実戦部隊を派遣し、防空戦闘や掃海作業に当たらせていたようだ。

かくしてヴェトナム側が中国の支援を高く評価したとしても、当然だろう。

だが中国は口ではワシントンを口汚く罵りながら、じつは71年4月の名古屋における世界卓球選手権を舞台にしたピンポン外交やキッシンジャーの秘密訪中など、72年2月のニクソン訪中へ向けて「不倶戴天の敵・米帝」との接近を密かに試みていたのである。

かくしてハノイは北京の対米接近を裏切りと断罪し、「溺死寸前の強盗に浮き輪を投げ与えるようなもの」と強く批判する一方、必然的にソ連への急傾斜を見せ始める。やはり敵(米)の敵(ソ)は味方であり、中国からするなら敵(ソ)の味方(越)は敵だった。

そこで70年代末、鄧小平は“生意気”が過ぎるヴェトナムを懲らしめてくれようぞ、とばかりに対越懲罰戦争へと突き進んだ。ところが中国軍は懲罰どころか手痛いしっぺ返しを喰らってしまう。相手は世界最強のアメリカ軍と戦って勝利したうえに、戦場で鹵獲したアメリカ製最新兵器で固めたヴェトナム軍である。対する中国側は実戦から遠ざかる一方、手にした武器は超老朽。開戦必敗! やはり人民戦争は超時代遅れだった。

あれから半世紀ほどが過ぎた。中国もヴェトナムも強固な一党独裁が反米闘争にではなく、カネ儲けに好都合な政治・社会制度だということ確信したはず。だからこそ、いま阿亮クン世代に聞いてみたい。民族解放闘争、社会主義兄弟党の友誼や大義とは、いったいぜんたい、とどのつまり・・・なんだったんだい!

『両顆手榴弾』(上海人民出版社)は、『越南小戦士 阿亮』と同じようにヴェトナムの戦場を舞台にした冒険活劇譚である。

阿明クンの父親はヴェトコン(南ヴェトナム解放戦線)のゲリラで、彼の家は前線との連絡拠点だった。ある日、ヴェトコン兵士が前線に送る武器を運び込む。暫くすると「美国?(アメ公野郎)」と「南越偽軍(インチキ南ヴェトナム政府軍)」がやって来て、安明クンの爺さんを縛り上げるが、爺さんは口を閉じたまま。「民族の恨みに満ちた視線は、まるで鋭利な刃物のように人喰い野郎を射すくめた」。そこで阿明クンは一計を案じ、地下道を使って背後に回り、「これでも喰らえ!」とばかりに2個の手榴弾を投げつけた。

敵を殲滅した阿明クンは、やがて武器を背負って爺さんと共に最前線へ。

『越南小戦士 阿亮』や『両顆手榴弾』が描き出すヴェトナムにおける反米闘争、民族解放闘争に実戦参加している阿亮クンや阿明クンの活躍を知った時、中国の同世代は、いったい、なにを考えたのか。多くが「ウン、ボクだって」と怒りの炎を燃やしただろう。この世代が、党幹部として習近平一強体制を下支えしていることは紛れもない事実。幼い日に刻まれた“怨敵アメリカ”の執念が彼らの心の奥底で息づいていたらなら・・・如何。

次の3冊は、中国の農村で大人と一緒になって生産活動に奮闘努力する健気な子供たちを描き出す。

『送鵝』(魯彦周写、何艶栄画、上海人民出版社)の主人公は、農村の紅小兵で丸ポチャが可愛い小雲チャン。放課後、家に帰る途中で一匹のガチョウの雛を拾った。持ち主を探したが見つからない。そこで自分たちで育てることにした。やがて子供たちは、丸々と太らせたガチョウを人民解放軍の元兵士の老人に送り届ける。最後に人民解放軍に結びつけたところで文革版の勧善懲悪物語へと“昇華”することになる。メデタシ、めでたし。《QED》