【知道中国 1065回】                       一四・四・仲六

――「大中国は全国土、全人民をあげてわき立っている最中なのだ」(中野8)

「中国の旅」(中野重治『世界の旅 8』中央公論社 昭和38年)

 

「進歩的文化人諸子」や「左翼人諸氏」が、復路の香港で「解放されたようにホッとした顔つきになり、買い物をしたり、ごちそうを食べたり、酒を飲んだり、インバイを買ったりして、ノビノビと手足をのばした」としても、目くじらを立てて咎めだてしようとは思わない。むしろ、中国に滞在している間、“社会主義的聖人君子”を演じ続けるのは辛く、面映ゆかったろう。さぞや中国ではストレスが溜まったはず。であればこそ、同情申し上げるに吝かではない。

 

だが、彼らは「インバイを買っ」ているさ中に、中国で「中国の一切合財を立派であると賞めちぎ」っていた自分を思い出さなかっただろうか。ましてや帰国後に、帰国報告講演会などと銘打って最新中国事情に飢えている善良な人々を寄せ集め、「堂々と、〔中略〕新中国を礼賛し」ている時、香港で「買い物をしたり、ごちそうを食べたり、酒を飲んだり、インバイを買ったりして、ノビノビと手足をのばし」ていた自分の姿が、頭のなかに思い浮かぶことはなかったのだろうか。

 

まあ、世の中には不誠実で厚かましいヤツがいないわけではないから、こういった類の香港漫遊を無下に否定する心算もない。中国は中国、香港は香港、帰国後は帰国後と割り切っているなら、それはそれでいいだろう。だが、よくよく考えれば、いや考えなくても、我こそは「進歩的文化人」、あるいは「左翼人」と胸を張ってみたところで、所詮は人間である。実態はゲスの集まり、知的誠意のカケラもないクズ集団でしかないわけだ。

 

とはいうものの、かりに香港で買った「インバイ」が中国当局差し回しの特殊工作員で、今風にいうならハニートラップに引っ掛かったのであったのなら、これはもう大問題だ。その先は判り切ったことだろう。香港だからといって安心はできない。いや香港だからこそ、油断はならないのだ。「進歩的文化人諸子」や「左翼人諸氏」がノー天気に「インバイを買っ」ていた50年代末期、香港を舞台に共産党と国民党の間で「?死我活(死ぬか生きるか)」の死力を尽くした謀略戦の火花が華々しく飛び散っていた。

 

最悪の場合(おそらく、そうだった者も少なくなかったと想像するが)、“修羅場”やなにやら、他人には見られたくないシーンを盗み撮りでもされ、ヤバい証拠を握られ、チクリチクリ、ジワリジワリ、ネチネチと脅され、籠絡され、挙句の果てに中国の工作員と化して、一生を「中国の一切合財を立派であると賞めちぎ」り続けるハメに陥ったに輩もいたに相違ない。いや、きっといたはずだ。これは決してゲスの勘繰りではない。

 

であればこそ、かつて訪中し帰国後に一貫して「中国の一切合財を立派であると賞めちぎ」り続けた「進歩的文化人諸子」や「左翼人諸氏」を、大いに疑ってみるべきだ。もちろん、彼らのうちの大部分は既に鬼籍に入っているだろう。だが、だからといって彼らが犯した歴史的犯罪は断固として許すわけにはいかない。追及の手を止緩めてはならない。やや大げさにいうなら歴史の法廷に引きずりだし、徹底して糾弾する必要がある。それというのも、彼らが垂れ流したウソ・デタラメの類が、その後の日本人の中国認識を確実に歪め、中国拝跪の論調を導き、日本人の真っ当な主張を封じ込めてしまったからだ。その惨禍は、いまになっても消えることはない。

 

最近では、かつてのような「進歩的文化人諸子」や「左翼人諸氏」を余り見かけなくなったが、安心してはいられない。彼らの末流は完全に死に絶えたわけではなく、いまでは姿形を変えて、政・官・財・学からメディアの世界のそこ此処に巣食い、蔓延り、害毒を流し続ける。これこそが、中国が仕掛け続ける言論戦・思想戦の一端というものだろう。

 

中野に戻るが、態々「こんなことも私たち一行には全くなかった」と。怪しいゾ。《QED》