【知道中国 206回】                                        〇九・一・仲三

『人民公社は』―いまなお跳梁跋扈する《ヤツラの亡霊》に注意せよ―
『人民公社は拡がり深まる』(A.L.ストロング 岩波新書 1960年)



 この本が出版されたのは大躍進が華々しく展開され、その“赫々たる成果”に世界中が驚愕していた1960年だ。著者は1958年にはじまった大躍進は飽くまでも「民衆のなかから発生した」運動であり、民衆の創意工夫によって新しい社会革命の渦が巻き起きている。その中核として全国に瞬く間に広がった人民公社運動は大増産という大きな成果を挙げ、農村に根強く残る封建社会のカスを取り除き、人民公社の食堂では誰もがタダで腹いっぱい食べられるような無償の食料制を打ちたて、大洪水や大干ばつなどの自然災害を克服する道筋をつけた。それらはすべて「自力更生」、つまり立ち上がった人民の土俗伝統的な智慧と自己犠牲を厭わない気高い精神がもたらしたものだ――と手放しで大絶賛している。 

 たとえば59年当時に内外に示された統計では、52年の総生産を100とするなら、57年は386とほぼ4倍。さらに58年は774。つまり58年のそれは52年から6年で約8倍、57年からはわずか1年で約2倍ということ。「おいマジかよ!」と思わず突っ込みを入れたくなるような数字だ。これが真実なら人類史上の快挙で壮挙。世界が腰を抜かしたとしても無理からぬこと。著者共々に大躍進を“熱烈に大絶賛”したい。だが、真実は大違いだ。

 この本が出版された前年の59年7月には江西省の景勝地・廬山で共産党拡大政治局会議が開かれ、大躍進をめぐって激しい論争が展開されていたのである。人民公社を軸とする大躍進こそ富強の社会主義中国を築く唯一の道だと力説する毛沢東に対し、①現実を無視した高すぎる目標が経済のバランスを狂わせ、大きな損失をもたらした。②「一平二調(労働に対する分配を無視した一律平等主義=悪平等)」が農民のヤル気を殺ぎ生産性を極端に劣化・鈍化させた。③強制的命令、上司を喜ばせるだけのデタラメな報告が党と国家の名誉を著しく傷つけた――との考えが提示される。その代表が毛沢東の“ポチ”であった国防部長の彭徳懐である。飼い犬に手を咬まれたと思ったのだろう。この真っ当な“忠言”を自らの権威に対する挑戦であると見做した毛沢東は烈火のごとく怒り狂い、彭を反党・右翼日和見主義集団の頭目と攻撃し国防部長から解任してしまう。その後釜が林彪だった。

 以後、大躍進の熱狂のみが虚しく中国全土を覆った。その結果、後に中国政府すら「非正常な死」と認めざるを得なかった餓死者を3,4千万人も数えることとなる。かくして大躍進を「人災」と糾弾する劉少奇が政治の実権を握り、62年から中国は大躍進の後遺症克服に努めるのだが、一定の自由化を認める劉の政治路線が成功した途端、毛沢東の嫉妬心・権力欲に火が点き、文革の業火となって中国全土を焼き尽くしたのだ。

 であればこそ著者のA.L.ストロングはもちろんのこと、著者を「すばらしい新聞記者的センスをもっている。彼女はつねに、その時の中心問題の核心を的確につかみ、それによって敏速に動き、すぐれた報道を世界におくる」(訳者あとがき)と持ち上げる訳者の西園寺公一も、共に愚かだった。
 いや、あるいは彼らは「閉着眼蔵人、装着不見(見てみぬふり)」をしていたとも考えられる。ならば確信犯的極悪人だった、ということになる。

 半世紀前の「虚飾と歪曲」に満ち溢れたタメにする提灯レポートと思わずに、この本を虚心坦懐に読み進むなら、21世紀の現在にもA.L.ストロングや西園寺の亡霊どもが大手を振って歩いていることに、必ずや気がつくはずだ・・・ヤツラの亡霊に注意せよ。  《QED》