【知道中国 226回】 〇九・三・念四
『賢人が見つめた中国』―これが、「中国――この怪物」の正体だ―
『賢人が見つめた中国』(桑原寿二 産経新聞社 平成十四年)
著者について多くを語る必要はないだろう。我が国におけるチャイナウォッチャーの先駆であり、保守派対中論壇における重鎮として健筆を揮い続けたことで知られる。激動止まない北京の政治動向に対する著者の冷徹な分析の底には、透徹した中国観・歴史観、《あるべき中国》への熱い念い、中国の正体を見極め尽くそうという執念が清冽な調べとなって流れていたように思う。だから、この本は「中国――この怪物」に立ち向かい、飽くことなく闘い続けた著者の壮大でロマン溢れる知的格闘の記録といってもよさそうだ。
この本は、著者が発表した数多い論文の中から帝塚山大学名誉教授の伊原吉之助が選定・監修したもの。「統一戦線と中仏連合」(64年4月)から「『新中原の建設』という置き土産――李登輝氏から陳新総統へ」(2000年5月)までが納められている。
この間、中国では社会主義教育運動が起こり、突如として燃え盛った文革の業火が全土を焼き尽くし、劉少奇が惨殺され、毛の後継者と憲法で定められた林彪が不可解な死を遂げ、朱徳と周恩来が死に唐山で大地震が発生し、文革で猛威を振るった四人組が逮捕され、その死と共に国民を誑かしていた毛沢東のツキモノが落ち、ポスト毛の権力闘争が熾烈に戦わされ、その闘いに勝利した鄧小平が毛沢東政治を全否定するかのように改革・開放政策に踏み出し、鄧の院政が敷かれ、改革・開放10年で民主化を求める天安門事件が発生し、江沢民の権力が絶頂期を迎え、台湾では蒋介石・経国の死に伴って国民党独裁が終焉し、民主化に伴い李登輝から陳水扁へと本省人政権が続く。このような激変にもかかわらず、日本は飽くことなく、性懲りもなく「対中追従外交」を続ける――であればこそ、「本書一冊読むだけでも、かなりの中国通になれること、疑いなし!」(「監修の言葉」)である。
複雑極まりない政治動向を鋭く分析し判り易く説いているだけに、その時々の中国の動きがリアルに伝わってくる。時系列順に並べられた論文を読み進むと、その後の展開への著者の見通しの確かさが伝わってくるだけでなく、いま読み返してみても新しい発見があって興味は尽きない。とはいうものの、どれか1つ論文を、といわれたら、躊躇なく「中国――この怪物」を挙げたい。「ある、ささやかな体験」との副題を持つ小編だが、中国と中国人に対する著者の基本的な姿勢が過不足なく語られているように思える。
「昭和の初め、私は北京の一中国人の家庭で食客生活をしていた」。その家の主を「たぶん運動政治家だ・・・・・・ぐらい」と思い過ごしていたが、遥か後年になって彼が「上海に燃え盛った日貨排斥運動の闘将」だったことを知る。「排日運動のリーダーが、日本の一友人の紹介でワケの分からない東国の一書生を食客にする」という日中間の複雑微妙な政治のアヤの中で送られた食客生活から、著者は「あちらの人のものの考え方、客としての私への心配りの厚さ、その他いろんなことを知る」。中国における「国家意識よりも地方主義性、同郷・同族意識による結びつきの強さ」を捉え、「中国の心性はアナーキズムだ」との確信を持ち、「儒教的権威支配に対する反抗としての道教的な虚無思想」という牢固たる伝統を知る。かくて著者は「所詮中国とは『巨大な復元力を持った怪物である』」と結ぶ。
中国と中国人に対するこのような考えを根底に、著者は変転極まりない中国政治を縦横無尽に語り尽くす。覚めた頭と熱い心――著者の静かな闘志が行間に燃え滾る。 《QED》