【知道中国 173回】                              〇八・七・初一

「台湾不動産」 ―元共産党理論エリートの不動産業者が台湾で地上げか―


6月末から台湾での人民元の両替が可能となり、5月20日の馬英九政権成立以来の中台両岸関係の“蜜月ぶり”は、さらに深まった。だが、この程度で驚いていてはいけない。台湾の不動産が大っぴらに人民元で買えるような時代がすぐそこまできているのだ。


 じつは総統選挙期間中、馬英九は大陸資本による台湾での不動産投資を容認する方向を打ち出していた。そこで注目されるのが、4月中旬に台湾を訪れた中港地産考察団の動向ということになる。なにしろ、これに参加したメンバーの顔ぶれがスゴイ。

 香港の親北京テレビ局で知られる鳳凰衛視で行政総裁を務める一方、董事長として中城楽天房地産を率いる劉長楽を団長とする一行9人の顔ぶれは、夫婦でSOHO中国を経営する潘石屹董事長と張欣行政総裁、雅居楽地産の陳卓賢主席、広州富力地産の李思廉主席、北京萬通地産の馮侖(崙)主席、建業地産の胡葆森董事長、棕櫚泉の曽偉董事長と楊蓉蓉執行董事――中国を代表する不動産業者ばかり。彼らの個人資産は総計で1200億元超との声もあるが、中で注目すべきは馮侖だろう。

  1959年に陝西省の西安で生まれた馮侖の祖先は、浙江省嘉興の出身。ならば彼の体内には、きっと浙江商人のDNAが宿っているに違いない。だが前歴を辿ってみると、ある時点までは商人臭さなど微塵も感じられないのだ。

 生年から文化大革命の10年間(66年から76年)は小学生から高校生の年齢で、文化大革命が最も激しく展開された66年からの数年間は小学生と推測できる。おそらくマトモな初等中等教育は受けていないだろう。改革・開放初期に大学生活を送り、鄧小平が人民公社解体に踏み切った82年に西北大学(03年秋の反日運動拠点校)を卒業。専攻は政治経済のようだ。共産党エリート養成機関である中央党校に進み法学修士号を取得。

 84年から88年まで央党校馬列(マルクス・レーニン)研究所で講師を務めた後、中央政策体制改革研究小組?公室に転属となり「文化及意識形態領導体制改革」を研究するチームに所属。「総設計師」の鄧小平を頂点に、党を胡耀邦総書記が政府を趙紫陽総理が抑える形で改革・開放政策が緒に就いた時期であった。どうやら馮は、改革・開放を推進する若手理論エリートの道を驀進していたということのようだ。

 88年後半に共産党思想・宣伝部門の中枢である中央宣伝部理論研究室に配転となり、同年末の国家体制改革委員会中国経済体制改革研究所制度研究室副主任就任と同時に海南省に派遣され副所長として改革発展研究所の創立に当たったが、89年には共産党理論エリートの道を捨てる。党幹部への道を捨て、ビジネスの苦海に身を投じた。「下海」である。経歴からして、天安門事件と深いかかわりがあったと考えても強ち的外れではなさそうだ。

 かくて不動産業界に転じた彼は業界リーダーとして頭角を現すようになり、いまや台湾の不動産市場に狙いを定める。はたして彼は大陸資本の台湾での不動産投資、極論するなら地上げ容認との馬の意向を事前に察知していたのだろうか。大いに興味を持つが、いま確実にいえることは「両岸経済圏」が現実のものに近づきつつあるということ。福建、上海など各地の不動産業者団体の台湾視察が続く。「台湾の製造業が大陸へ」は遠い昔のこと。「大陸の不動産資本が台湾へ」――両岸関係のトレンドは、これだ。  《QED》