【知道中国 176回】 〇八・八・初一
「五百年の恥辱」 ―500年のまどろみ・・・失地回復―
世界が中国を注視する。いまは北京五輪だが、10年ほど前は香港返還。その10年前は天安門事件、その10年前は改革・開放、またその10年前が文化大革命最盛期、そのまた10年前は結果として大飢饉を招いてしまった大躍進の真っ只中、その10年前は建国――49年から数え10年ほどの周期での「共産党七変化」、いや10年ごとの挙国一致の“発熱と興奮”。熾烈な劇場型の民族性がそうさせるのだろうが、お国柄に落ち着きがなさすぎマス。
思い返してみれば、10年前の香港返還に照準を合わせるかのように『中国可以説不(ノーといえる中国)』など勇ましい名前の本が続々と出版されていたっけ。今となっては毒にもクスリにもなりそうにないとは思いながらも、改めてそれらを読み返してみた。するとどうだ。酷暑も吹っ飛ぶ面白さ。現在の中国を導いた改革・開放政策に毛沢東政治、ことに文化大革命によって破滅の瀬戸際まで追い詰められた中国を救おうといったレベルを超えた遥かに壮大な文明史的使命を付託しているのだ。
たとえば『中国何以説不 ――猛醒的睡獅』は明代半ばの弘治十三(1500)年から今日までの500年を――封建王朝の腐敗、帝国主義列強による蚕食、軍閥による独裁統治が続き、「旧い歴史を誇る文明国」は永遠に回復困難な状態に置いてけぼりを喰らってしまった。中国が睡り呆けていた500年の間に人類は空前の発達を遂げるが、中国はみすみす大発展の機会を何度となく失くした。
19世紀中葉に世界規模で起こった工業革命に見放され、20世紀50年代以後の科学技術革命の波からも20年から30年は立ち遅れた――と総括する。
そして「20世紀の40年代末に中国人は立ち上がったものの、貧乏という帽子は取り去ることはできなかった」。「新中国成立以後の数10年間、我々は国家建設に当たって奮闘努力を重ねてきた末に、やっと一筋の光明を見出した。
そうだ、中国が真に苦境から脱出する道は世界の大市場に向かって突き進むことなんだ。
『社会主義市場経済』という僅か8文字を識るために、我々はタップリと40年間近くも『学費』を払わされた」と毛沢東政治をバッサリと切り捨て、返す刀で改革・開放に踏み出した鄧小平の大英断を厳寒の冬に別れを告げる「春雷」とまで讃え、中国が弘治十三年以前の世界に占めていた地位を回復し、大国として当たり前に振舞うことこそが「天下の正しい道」。いまこそ中国は世界に向かって「不(ノー)」をいえるのだ、と胸を張って息巻く。
ここで注目は弘治十三年だ。正史の『明史』を探ってみても、時代を限るような大事件が起きているわけではない。だが西欧ではコロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)、ヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰迂回による東インド航路開拓(1498年)、マゼランの世界周航(1519から21年)と、弘治十三年を挟んで世界史的事件が起こり、地球が1つに結ばれる大航海時代が幕を開けようとしていた。一方の明朝は15世紀初頭に強い意欲をみせていた海洋世界との連携を絶ち内陸国家へと退行してしまう。いわばこの頃を境に世界に向かって自ら“蟄居閉門”し、国家として蹲ってしまった。巨大な国家とはいうものの、図体がデカイだけ。
以後は、下り坂を転げ落ちるしかなかった。だから「世界の軌(=常軌)」に繋がってこそ、中国は「輝かしい文明を持つ大国」としての振る舞いを取り戻せる、と力説する。
「世界の軌」に接する絶好の機会が北京五輪だ。お手並み拝見。そこで老婆心ながらゴ忠言を・・・是非とも「世界の軌」から「不」を突きつけられないよう願いマス。 《QED》