【知道中国 179回】                                       〇八・八・仲五

「陳凱歌」―ブンカクに踊り、権力に弄ばれた若者たち―
書評:『私の紅衛兵時代』(陳凱歌 講談社現代新書 1990年)


 1965年は「中華人民共和国が成立して、十六周年の年」に当たる。この年、13歳だった著者は、「偉大な指導者」によって起こされ、当時は「魂に触れる革命」と讃えられた文化大革命の真っ只中に青春を送っている。この本は、「革命の子ども」の1人であり真っ正直に「毛沢東の良い子ども」たろうとした著者の青春の記録であり、同時に栄光と蹉跌、歓喜と苦渋に満ちた青春を送らざるをえなかった同世代に向けての鎮魂歌でもある。

 「天国 北京の思い出」「第二章 降臨 文革の勃発」「第三章 群仏 街に繰りだす紅衛兵」「第四章 狂灰 いくつもの死と生」「第五章 青山 そして、新生」と続く本書の最終部近く、大人になっていた著者は文革に斃れていった数限りない「毛沢東の良い子ども」に思いを馳せ悼み、「私は、文革が終わってから、恨み言を書き連ねた『知識青年文学』を読むたびに、書いた連中は一人の人間を二度殺しているとつぶやいたものだ。辛く厳しい生活など、中国の庶民には当たり前のことだ。私の心を揺さぶるのは、そんなものではない。力強さだ。私は、いつかそう考えるようになっていた」と綴る。

 「辛く厳しい生活など、中国の庶民には当たり前」であり、「力強さ」に「心を揺さぶ」られる著者の世代こそが、現在の中国の政治・経済・社会・文化などさまざまな分野の中核を担っている。だから彼らの青春を知ることは、そのまま中国の“今日と明日”を理解することに繋がるはずだ。

 この本を読み進んでいくと、現代の中国を代表する映画監督に成長した著者の“原風景”と“中国人観”が、あちらこちらに顔を覗かせている。

 たとえば「にぎやかなのは、廟の縁日だ。のぞきカラクリの旧式なレンズ箱の前に、伸びをするように座り込み、まばたきもしないで飛び去っていく絵を見つめていた。それをいまでもよく覚えている。その絵は、山河や人物、それに神話の中の物語だった。・・・晴れた日には、雛の入った籠を天秤で担いだおじさんが、胡同にはいってくる」。共産党政権になったとはいえ、北京の下町には長閑でほのぼのとするような庶民の生活があった。だが、次の件を読むと怒れる庶民の獰猛・残酷極まりない姿が伝わってくるだろう。

 「昔から中国では押さえつけられてきた者が、正義を手にしたと思い込むと、もう頭には報復しかなかった。寛容など考えられない。『相手の使った方法で、相手の身を治める』というのだ。そのため弾圧そのものは、子々孫々なくなりはしない。ただ相手が入れ替わるだけだ。
 では、災禍なぜ起こったのだろう? それは灯明を叩き壊した和尚が寺を呪うようなものだ。
 自分自身がその原因だったにもかかわらず、個人の責任を問えば、人々は、残酷な政治の圧力や、盲目的な信仰、集団の決定とかを持ち出すだろう。だが、あらゆる人が無実となるとき、本当に無実だった人は、永遠にうち捨てられてしまう」。

 「文革とは、恐怖を前提にした愚かな大衆の運動だった」と語る著者は、「大事なのは信じることそのものであって、なにを信じるかではない。信じることが可能なうちは、まだこの世に希望が残っている。純真さと勇気とを抹殺してしまえば、後の残るのは暴民でしかない」と断言する。「暴民」という表現に、超格差社会に突入した現在の中国の各地方で権力の横暴に怒りの声を上げる庶民の姿に重なってくる。恐怖を呼ぶことばだ。  《QED》