【知道中国 188回】                          〇八・九・念一

「劇場都市」―漢化とは、シナ化・都市化・植民地化…ということ―
『劇場都市』(大室幹夫 ちくま学芸文庫 1994年)


 浩瀚と呼ぶに相応しい本書は、「ユーラシア大陸東方の、あの広大な地域に誕生し展開した巨大文明の創造した都市とそれが表出した様相に関する」研究である。

 だが、そんじょそこらの中国都市研究と異なる点は、都市を街区、あるいは道路と建造物の複合体として捉えようなどという意図が微塵もみられないことだろう。著者は都市を飽くまでも現象として捉え、「都市という現象」をテコにして古代の中国のカラクリ――あるいは、それは現在の共産党一党独裁体制下にあって爛熟極まりない姿をみせる市場経済の中国にも通ずるかもしれない――を、あらゆる角度から解き明かそうと獅子奮迅の筆を揮う。

 やがて著者は、「(一)われわれが現在ふつうに中国と呼んでいる広大な亜大陸は歴史の当初から『中国』ではなかったこと、(二)この亜大陸は紀元一千年紀の初頭あるいはそれ以前から歴史的に徐々にシナ化sinicizeされてきたこと、(三)そのさいシナ化sinicizationを行ったのは漢-シナ人Han-Chineseのグループであり、(四)シナ化は黄河流域のいわゆる中原地方から南および南西、南東の方向へ向って展開されたこと、(五)シナ化とはこれら南方地域の漢-シナ人の植民地化colonizationの過程にほかならず、(六)それは具体的には城壁都市の建設によって表出され、ゆえに(七)シナ化とは端的に都市化urbanizationである」との「歴史的な図式を抽きだ」した後、「シナ化と植民地化との・・・歴史現象を、(七)から(一)の方向へ逆に簡略に展開する」と本書の構想を明らかにし、「まず長江流域に着眼」し、「古代中国の世界像」を再構成してみせてくれる。

 本書の姉妹編の『桃源の夢想』『園林都市』『干潟幻想』『監獄都市』に共通するが、体裁・分量・内容共に博覧強記(時に「博覧狂気」)ということばは著者である大室のために用意されたと思えるほどに古今東西を統べる該博な知識を総動員し「古代中国の世界像」に逼ろうという姿からは、鬼気すら感じられる。だから読者が、それなりの覚悟と志とを持って超難解さに耐え、なにはともあれ読み進めば、やがて目の前に広大無窮・豪華絢爛・博学精緻な“大室ワールド”が広がり、中国のカラクリの一端を知ることができるはずだ。

 都市を中国語で「城市」と呼ぶ。ここでいう城は天守閣を備えた豪壮華麗な日本の城とは大違い。たんなる城壁である。周囲を城壁で囲み外敵から身を守り集中居住する一方、その裡側で市(あきない)をする。そこで街=都市を城市と表すが、考えればチャイナタウンだ。チャイナタウンが増殖してチャイナとなる仕組なのだ。

 古来、彼らは新しい生活居住空間を求め「中原地方から南および南西、南東の方向へ向って」進出し、「広大な亜大陸」の各地に城市を築き、城市群を道路で結んで自らの版図(=中国)の拡大に努める。いわば集中して居住する小さな空間(=城市)を「広大な亜大陸」の処々に大々的に分散させ、その内側を中国と呼び習わしてきた。これを小集中・大分散とも表現する。

 小集中・大分散の6文字に象徴される現象こそ、著者のいう「シナ化sinicization」であり「植民地化colonizationの過程」に違いない。ならばチャイニーズとチャイナタウンとチャイナの結びつきをテコに、世界各地でチャイナタウンが増殖を続け、新たに築かれようとしている現状を率直に見直すなら、地球規模で新たな「シナ化sinicization」「植民地化colonizationの過程」が進行しているとも考えられるのだ。  《QED》