【知道中国 1871回】                       一九・三・仲三

――「劣等な民族が自滅して行くのは是非もないこつたよ」東京高商(11)

東京高等商業學校東亞倶樂部『中華三千哩』(大阪屋號書店 大正9年)

そのチグハグ振りの背景を考える。「朴訥眞摯なしかも進取的氣象に富んでゐる在青中國人」と比較して、「此處へ來て孜々と働いてゐるといふ二萬の邦人は」「健全なる分子が大多數を占めてゐるのであらうか」と自問した後、「自分は否と斷言するに憚らない」と記している。

その背景を「對外人となつたといはるる取引が今尚對邦人的の境界を脱し得てゐないのではないか」と見た。つまり外地に在りながら、商売のみならず生活全般――貨幣、警察、衛生設備などに至るまで――が余りにも日本的に過ぎるのである。そういった生活環境から生まれる「ルーズな空氣の一般にみなぎつてゐる青島を見て、痛く失望せざるを得なかつたのである」と。

その後、大連を経て旅順へ回り、日露戦争の戦跡の訪ねた後、「ツズラ折る山路を舊市街を斜に馬車を走らせて海邊の太和ホテル」において、「我が東亞倶樂部支那旅行の解散式」を挙行。「東亞倶樂部萬歳の聲は濕めつた旅順の山々にこだまして長く長く響いて行く・・・・・」。

これで旅行は終わるが、現地で異国の若者が進める排日・排日貨の動きに対し、日本の若者として関心を示さないわけにはいかないとも考えたのであろう。末尾に特に「排日問題」の一章を設け詳細に綴っている。

「排日といふ字はもう目なれて何等の注意も惹かぬ程になつたが、我日本にとつてこれほど末恐ろしい事はあるまいと思ふ」と書き出した若者にとっては、「今回渡支した主要目的の一つ」こそ「末恐ろしい事件」の「眞相を多少なりとも究め」ようとすることだった。

「近來の日本の發展は實に大したもの、殊に實業方面に於て著しい」。だが、それを支えているのは中国からの原材料である。「日支の貿易に於ては(双方を益するが)日本は支那がなければ立つてゆけないとふのも過言ではない」。たとえば日本の製鉄を支えている「大冶の鐵が來なかつたらどうする」。たとえば「日露戰爭の最後通牒は、この大冶の鐵が買へるか買へないかで決定したといふではないか」。「つひこの間の米國との船鐵交換問題などほとに日本が可愛想になる」。

つまり何らかの要因で中国からの原材料が来なくなったら、日本の発展に支障を来すことになる。「また日本は今貿易で一躍成金國のやうなつもりで居るが、その大切なお得意は支那ぢやないか」。加えて「よく東洋の平和といふが支那が全く日本から離れたら東洋の平和はおろか、日本それ自身さへ安全では居られない」。

その一方、「勿論支那としても日本を離れては確立出來ない、確立はおろか一日の平和も得られまい」。にもかかわらず、「眼前の利害に迷うて永遠の歸結を辨へぬ哀れむべき迷ひ子」がいる。それが「排日を稱へて自滅を誘起し、或いは動もすれば頼むべからざる他の力を頼らんとする輩」だ。

では、彼らは「なぜ日本がいやか」。それは「侵略主義だからだ」ということになる。

たとえば「支那の高等小学校の讀本に『日本』といふ題のもとに『日本は島国也、明治維新以來國勢驟に盛になり、我琉球を縣とし、我臺灣を割き、我旅順大連を租借し、朝鮮を併合し、我奉天吉林に殖民し、航業商務を我國各地に擴張す、膠州灣は我重要軍港たり、日本歐戰に乘じて之を奪ふ、我國力弱きを以て未だ戰ふべからず、乃ち隱忍之を承認す(中略)我國の人苟も能く自ら強ければ即ち國耻時あつて雪ぐ』と何ぞその臥薪嘗膽の悲痛なる」。「我國力弱き」がゆえに日本に奪われた「我琉球」「我臺灣」「我旅順大連」「我奉天吉林」「我重要軍港」を取り返せ。日本の若者は排日の背景に「臥薪嘗膽の悲痛」を見た。《QED》