【知道中国 197回】                                                  〇八・十一・念五

『楊寛自伝』―現代中国の農村は、戦国時代以来の小農経営のままだ―
『歴史激流 楊寛自伝 ある歴史学者の軌跡』(東京大学出版会 1995年)

共産党は今(08)年10月の三中全会で「若干の重大な問題に関する決定」を採択し、憲法が「集団所有」と規定している農地につき、転売・譲渡・流通にまで踏み込んで農民個人の利用権を大幅に認可した。かくて農地は流動化。農民の財産となり農地私有化に向けて動きだすだろうが、直ちに農民の生活向上に繋がるとは思えない。というのも、この本で「深く認識する必要があるのは、現代中国における主要な経済基盤も、やはり二千年来の歴史が牢固に保持してきた小農経営」であり、「したがって収入を上げる唯一の方法とは、子どもをたくさん生み育て、力強い働き手を増やすことだけ」との主張に接したからだ。

「二千年来の歴史が牢固に保持してきた小農経営」だからこそ「唯一の方法」である多産しか農民に安定した生活をもたらさない。だが多産こそが農村の停滞を招く――このような悪循環に二千年来タップリと漬かってきた農民の考え方が、党の「決定」だけで直ちに革命的に変化するとは思えない。かつて毛沢東が「貧農下層中農」に対し殲滅せよと煽った「土豪・劣紳」、つまり農村で皇帝然と振舞う大地主が拡大再生産される可能性は高い。

この本は、『戦国史』『古史新探』などを著した現代中国を代表する古代史研究者・楊寛が1919年の五・四運動から文化大革命を経て改革・開放に至る激動の時代をどのように生き抜いたかを、多くの学者との交流などを交えながら赤裸々に綴ったもの。だが彼が精力を注いで書き著そうとしたのは彼自らの歩いた道というよりは、むしろ20世紀の中国が翻弄され続けた『歴史激流』であり、そこに蠢き格闘する中国人の姿といえる。だから、この本は楊寛という1人の中国人古代史学者が描きだした《20世紀中国の自伝》とでもいうべきものだ。であればこそ、優れた自伝がそうであるように自らが生きた20世紀中国に対する鋭い省察や憤怒が上下2段組で450頁を超える膨大な記述の行間に溢れている。

たとえば50年代半ばに進められた反右派闘争について、「(右派分子とされた多くの人々は)実際は、実権を握る者が運動に名を借りて、意に満たぬ配下の者を陥れた結果に過ぎない、と。 つまりすべてが冤罪」。じつは「反右派闘争を通じて、人々は、共産党政権が指導する無産階級という政権の本質を、より深く認識できるようになった」。その「政権の本質」とは、農村の最末端から北京中央まで、各レベルの党機関トップが「いずれも各機関のいわば大家父長制であり、機関所属のすべての人間に対する生殺与奪の権を握っている」。

ならば毛沢東から胡錦濤まで党の頂点を占めた最高権力者が「自らの権力保持のために、常に専制という手段を採用した」としてもなんら不思議ではないということだ。

挙国一致の狂乱・凶暴の坩堝だった大躍進や文革についてのおぞましくも滑稽な情況を生み出した要因を、楊は共産党による大家父長制支配に求める。だが、理不尽な権力システムを受け入れ、暴民と化して暴虐のかぎりを尽くし互いに傷つけ殺し合い、悲惨な情況をうみだしてしまう中国人の体質に、果たして問題はなかったのだろうか。

楊は天安門事件直前の89年4月に中国社会科学院が発表した報告を援用する形で、「かりに『大躍進』や『文革』が引き起こした損失について、数年あるいは数十年の時間をかけて調整することができるとしても、人口政策の重大な誤りが民族全体にもたらした災難とも言うべき窮状を改善することは最小限二一世紀中は不可能である」と言い切る。  《QED》