【知道中国 964】                         一三・九・仲四

――「それにしても我々日本人はあまりに中国を知らな過ぎた」(安倍の6)

「新中国見聞記」(安倍能成 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 

「今や中国は毛主席の音頭の下に、和平の声は全土に満ち溢れて居ます」とヨイショした安倍は、「中国が平和を単に政策としてではなく、恒久な原則としてこれを貫徹し、事実に於いてこれを実現されことを望みます」と表明しながら、一転して「例えば中国が一段上手の大所高所に立って、ソ連に対して千島返還を勧告される如き手をうたれることを望」んでいる。中国の勧告を受け入れてソ連が千島を返還すれば、日本の中国やソ連に対する警戒感・不信感が拭えるとでも、安倍は夢想したのだろうか。

さらに「中国はかつて日本の再軍備に反対しました。私も亦再軍備に反対する日本人の一人です」としたうえで、「しかし日本人の中には、中国のアジア政策が日本を圧迫することを恐れて、再軍備の必要を真面目に考えている人も少なくありません。私は中国の平和政策が徹底して、このような不安が一掃され、中日両国が共々一致して、アジアの平和、世界の平和を実現するに至らんことを、心から望んでやまないものであります」と、挨拶の最後を結んでいる。日本人なら、やはり「中日」ではなく「日中」というべきだ。

とはいえ、さすがにリベラル保守の旗頭だった。安倍は米ソ両陣営対立という現実を前にして、「勝手に日本の軍備を撤廃して、勝手に日本の再軍備を強要するアメリカを信じ得ない」とする一方で、「かつては日露戦争を彼等の運動に対するプラスだと言いながら、千島攻略を日露戦争の敵討というスターリンの言説に至っては、狼がどんな口実を恥とせず、羊の子を食い殺すのと選ぶ所はない。我々はソ連の冷静と打算とその上に立った利口さを見るが故に、一層不快をます」と、米ソ両国への不快感を隠そうとはしない。

そこで「日本が独立の日本、民主・平和・自由の日本となった場合、自衛のための武装を持つことは当然であります」という周恩来の考えを紹介し、日本は中国に対し「アメリカに駐兵の口実を与えぬだけの、平和的意志、平和的政策、平和的実行を示すのが望ましい」としつつ、「自信を得、安固を感じ、戦争の苦患を過ぎ、始めて自分の領土を領土とし、顧みて自分の力と自国の富源とを意識して、新たな建設にいそしもうとして居る」新中国が「名実共にアジアの中心となり、又世界の外交を指導し得るに至るであろう」と期待を寄せる。

だが安倍は、中国外交が掲げた領土保全・相互不侵略・内政不干渉・平等互利・平和共存を柱とする平和五原則のうちの内政不干渉に疑問を示す。というのも、「今まで共産主義国が随分えげつなく(内政干渉を)試みて来た」からである。「例えばインドの場合、インド国内やその周囲に定着せる華僑の、或は華僑中の中国人民代表の、共産主義的運動を積極的に試みるということが、結果として内政干渉になるということも考えられる。こういう場合事実上内政干渉を断じてしないために、特に共産主義国は、他国に対して自己の勢力圏を拡大するためのあらゆる運動を厳しく抑制せねばならない」とクギを刺した。

安倍は帰国を前に「殊に世話になった対外文化協会に向かってメッセイージを残した」。曰く「別れに臨んで我々は一言中国に望むことがあります。今や中国は武に於いても世界の強国であります。我々の浅い知識によると、『武』の意義は『戈を止める』にあるということです。即ち武装的平和であります。・・・我々は若い新興中国の野心の更に大ならんことを熱望します。・・・ここに敬んで毛首席を始め中国人民諸君の健康と幸福とを祈ります、一九五四年十月十五日」

安倍は柳田ほどのブザマに振舞ってはいない。だが、「毛首席を始め中国人民諸君の健康と幸福とを祈」って帰国した直後から「中国人民諸君」は生き地獄を体験する。確かに安倍の言う通り・・・「それにしても我々日本人はあまりに中国を知らな過ぎた」のだ。《QED》