【知道中国 966】                         一三・九・仲八

――「四川省産のオオムが・・・成都官話で『毛主席万歳』と叫ぶ」(桑原の2)

「中国の演劇」「四川紀行」(桑原武夫 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 

桑原は念願かなって翻訳劇であるゴーゴリの「検察官」(中国語での演目名は「欽差大臣」)を観たが、「中国での演劇の主流は、革命後の今日もなお依然として京劇とその地方的変種である」と記しているが、そこで中国の芝居に就いて若干の解説を。

まず翻訳劇を含む現代劇(「話劇」という)は外来のものであり、日々の立ち居振る舞いを演じ、日常の会話を重ねる芝居だからこそ、「毎日、我々は話劇を演じているではないか」と否定した毛沢東の一言が象徴しているように、中国人にとって芝居とは、飽くまでも唱が中心の歌劇であり、客席を興奮の坩堝に誘い込み、客の想像をかき立て華麗・絶妙の絵空事の世界に誘うものでなければならなかった。つまり限られた知識人以外は見向きもしなかった現代劇では、圧倒態多数の人民を洗脳することは不可能だった。そこで共産党政権は、メディア戦力の中心に京劇などの伝統劇を据えざるをえなかった。

もう一点。桑原は「京劇とその地方的変種」とするが、これは誤解だ。多様な方言が話され、当然のように民度、生活様式、生活水準などが異なる人々の集団がモザイクのように入り組んで住んでいるのが中国であり、それぞれが自分達の好みの楽器、旋律などを柱にした芝居を演じ聴いて看て愉しんできた。じつは中国では芝居は看るものではなく、聴くもの。歌劇なのだ。そこで全国には350種を超える地方劇があり、そういった地方劇を、200年ほど昔の清朝時代の北京で集大成したのが京劇ということになる。いわば京劇とは、集大成された地方劇の「変種」というべき芝居と考えるべきなのだ。

では、なぜ京劇が「国劇」と呼ばれ、中国の古典劇の象徴に位置づけられてきたのか。北京という政治経済の中心で、歴代の清朝皇帝や権力者がパトロンとなって競って後援したからだ。共産党政権でも事情は同じ。毛沢東は無類の戯狂(しばいぐるい)だったし、周恩来、鄧小平、賀龍、康生などが。最近では江沢民も朱鎔基もそうだった。

以上から、「中国での演劇の主流は、革命後の今日もなお依然として京劇とその地方的変種である」理由が、ある程度は理解してもらえただろう。

建国したものの、人民全体の民度が一気に、劇的に、革命的に向上するわけではない。やはり圧倒的多数は共産党のなんたるかを知らないし、文字を知らない。ならばメディ戦略の中心として頼るのは芝居ということとなった。いいかえるなら人民が慣れ親しんできた京劇を中心とした古典芝居を使って、人民が初めて経験することになる共産党政権の考え、社会主義社会の理想を舞台に描き出す。まさに洗脳工作に着手したのである。

だが、大難題が出来した。京劇は共産党が否定した封建社会で生まれ愉しまれたもの。であればこそ封建社会を肯定的に描きだす内容が圧倒的に多いばかりか、地獄や極楽、鬼神を礼賛する演目も少なくなく、はては不倫・痴情・怨恨・猟奇・殺人芝居は面白いから根強い人気だった。こんな内容では共産党政権のメディア戦略としては甚だ不都合だろう。

そこで社会主義道徳や科学思想、あるいは民族の誇りといった観点を基準にして旧来から演じられてきた5000本余といわれる京劇の演目を審査し、上演禁止、一部改変して上演可、上演可能の3種類に分けた。だから桑原が看せられた『白蛇伝』『審蘇三』『芙蓉花』『秦香蓮』などの伝統演目は、すべて共産党政権の思想的改編がなされたものだったわけだ。

これらの共産党改編版伝統劇を「日本の歌舞伎にあるような残忍性は全くない」「(歌舞伎の「寺子屋」や「仙台荻」が描くような)主従関係を強調し、とくにお家の断絶は身を殺しても守らねばならぬなどというバカげた思想はどこにもない」と評す一方で、「歌舞伎によくある非人間的な残忍性は、息づまるような徳川封建制の圧力のせい」と妄言を綴る。

共産党による洗脳工作は大成功・・・旅の先々で、桑原の妄言が炸裂する。《QED》