【知道中国 1680回】 一七・十二・卅一
――「早合點の上、武勇を弄ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」――(川田5)
川田鐵彌『支那風韻記』(大倉書房 大正元年)
これまでも「各省で鑛山其他の物件を擔保に入れ」、いままた「軍隊解散費及行政費の充つる爲」に借款に頼る。これに対し「列國は競うてこの借款に應ずる」。その結末がどうなるのか。貸す方も、借りる方も、よくよく考えるべきだ。
「其五」=「中華民国は、どのくらいつゞくであろうか」。中華民国とはいうものの、「極端に中央政府の權力の乏し」く、「各省毎に多大の實權を有する共和政體で進む」しかないだろうが、それでは「國一國の體面を取り直し、經濟上の基礎を鞏固にする」ことは「骨の折れる話である」。各政治勢力が「何時迄も、内輪喧嘩するようでは、國内疲弊する許りだ」。
中華民国崩壊は、日本にとって「一衣帶水を隔てた一大障壁を亡くす」ようなもの。だからこそ「この際、多大の同情を以て、支那を研究する必要がある」。だが、「書物の上で調べた支那大陸と、實地踏査した支那大陸とは、著しく相違の點がある」。やはり「孔孟の立派な學問は、日本に於いて、其の實を見ることが出來るも、支那大陸では寧ろ有名無實の嫌がある」。「支那大國は、隣國でありながら、日本人に其眞相が誤解されてゐる」。これは、これまでの学者が「或る程度の迄は、其責任を負はねばなるまいかと思ふ」。なぜ、いまなお「日本人に其眞相が誤解されてゐる」のか。川田は痛憤する。
「支那に對しては、列國とも、其前途に就き、多少疑問を抱いて居る」。日本人と違って「歐米人士は、支那の内地に入り、殖産興業上に關し多大の研究を重ね」ている。だから、残念ながら「支那の現状を詳に研究せんには、外人の著作を手に入れるより他」に便法はない。ビジネスという「所謂平和の戰爭に、勝利を占むることは、今日の急務である」からして、愛国心に富む商工業家が一念発起して、「特に江西・江蘇・浙江・福建方面に、然るべき研究隊を派遣し、靜に實地調査に意を用ひて貰ひたい」ものだ。
日本は、軍事力を頼って「干渉の下、無理に植民政策を施さんとせる獨逸の不自然を學」ぶべきではない。日清・日露の両戦争で列強の関心が薄れた揚子江一帯に多額の資本を投じ、確固とした基盤を築いた「英國の態度を、腹に入れてかゝ」るべきだ。それというのもイギリスは「武力もあれば金力もあり、ゆったりとした中、抜け目のない、植民政策經驗に富ん」でいるからだ。やはり日本は「抜け目のない、植民政策經驗」に乏し過ぎた。
なぜイギリスに学ぶべきか。ドイツ方式では、「元來恩を仇に持つ癖のある支那人に、惡感情を抱かしむるばかりでなく、意外に、列國の非難を蒙ることに陷らないとも限ら」ないからだ。世界における日本の立場からして、「これから先は、どこ迄も落付いて、公明正大の方針を採らねばならぬ」。「武勇を示して、商工業家を輔佐する位は、別に差支もなかろう」。だが、「早合點の上、武勇を玩ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」。やはり「聲を小に、實を大とするは、最も肝要である」。
この時から日本の敗戦までの大陸における日本の動きを振り返るに、総じて言えることは「聲を小に、實を大とする」方式とは程遠かったように思う。長い歴史と豊富な経験に基づく「ゆったりとした中、抜け目のない、植民政策經驗に富ん」だイギリスを筆頭とする諸列強の思惑に翻弄され、やがて悪辣・巧妙なスターリンに眩惑され、“四捨五入”するまでもなく、「聲を小に、實を大とする」とは真反対に、声を大に、実を小で終わった。
それにしても川田が学ぶべきではないと主張した「干渉の下、無理に植民政策を施さんとせる獨逸」が、日中戦争中も、そして現在も、“友好裡”に対中関係を推移させているカラクリは、やはり突き詰めて考えたい。たんにドイツが騙されているわけでもなかろうに。
それにしても「元來恩を仇に持つ癖のある支那人」とは・・・言い得て妙である。《QED》