【知道中国 1678回】                      一七・十二・念七

――「早合點の上、武勇を弄ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」――(川田3)

川田鐵彌『支那風韻記』(大倉書房 大正元年)

 

「元來正直な日本人などは」、「書物など讀むにも、用心して之を見ないと」「支那人の書いた書物に、讀まれて仕舞ふようになる」。歴代王朝の足跡を記録した歴史書である「正史を綴るにしても」、「仰山に書き立てゝあるから、餘程、割引をしてかゝらないと、物によると、大變な思い違いをする」。これを要するに川田の指摘に従うなら、これまで日本人は「大變な思い違い」を繰り返して来たということになる。だが、「支那文學の妙が、空想に任せて、文字を濫用するにあることを忘れてはなら」と記すことも忘れてはいない。

 

じつは「戰爭をするにも、この流儀であるから」、どうも日清戦争に際、清国側の布令の激烈な言葉遣いに眩惑され、日本側は「敵の眞相を誤解して、大事を取り過ぎた」ようだ。

 

ともあれ日清戦争の結果、「支那は、眠れる獅子でなくて、獅子の皮を被つて居るに止まると云ふことが分つたから」、イギリス、フランス、ロシア、ドイツは猛禽の如く「眠れる獅子」に襲い掛かることとなったわけだ。

 

川田は「妙に婦人の勢力が強いこところ」に驚く。垢まみれで「一生懸命に働いている勞働者の類でも、家内には、相當に綺麗に着せて、樂に暮させて居る」。貧富の差は極端に激しいが、高級役人や豪商など極めて少数の富める家庭でも、「どうかと云ふに、尚更ら女權が強いさうである」。「心ある者は、頻りに家庭の改善を主唱」するが、纏足のような奇妙な風習を一掃し、台所の隅から清潔にするのが先決だ。かくて川田は、「支那根本的改革の第一着は、女子敎育を大に鼓吹しつゝ、家庭の改善を計るにある」と説く。

 

「支那の世界一」は多く、たとえば「料理法の發達して居ること」。実際に現地で具に見分してみて「書物で買ひ被つた反動として、大に見下げてかゝる」。だが、それでも「支那は、大國である」。現状の国力・国情は情けない限りだが、「民族的勢力に至つては、矢張り、世界一である」。その「民族的勢力」を支えているのが、会館や公所など民間における「相互自衞機關」であり、「吉凶互に相助け、結局、幸福を増進する機關」といえる。「支那商人の信用に豐かなこと」も、この機関があったればこそ、である。

 

これを言い換えるなら「政府の行政が不行屆である代りに、自治の美風が」発達している点も「世界一である」。民間における「自治の美風」は、政府が役立たずだからだ。

「風を望んで、旗色の善い方につく」というのが、「支那從來の外交政策」である。辛亥革命にしても、各省は革命軍と清国政府軍の「旗色の善い方につ」いた。まさに「附和雷同の弱點」が見えてくる。

「支那人の長所」として「寛大の風」が認められるが、「歩行の緩慢なるが如く、萬事悠長なるは、支那人の缺點である」。「大勢の從僕を使ひ」、結果として一事が万事悠長になる。それというのも「結局、人間が安い」からだ。

 

「論語の眞髓は、全く日本に傳はつて、支那には、其の實が洵に乏しい」。儒教経典をはじめとして万巻の書籍はあるが、「之を讀むものなく」、その教えを実践する者はさらにみられない。だから「四書を始めとして、何れの書も、意味をアベコベにとると、支那人の性情が、自ら分る」。たとえば「子不語恠力亂神(子は恠力亂神を語らず)にて、迷信多きを察すべく」、「食不語(食に語らず)」は「食事の際、騒々敷多言する風を察すべきである」。「居は、其の心を移すとあるが、屋根の低い薄暗い家庭に育ち、(中略)日々動物の如くに、凡て殺風景の生活を繰り返せる、無敎育の輩が多い」のである。

 

「赤壁の賦を詠じた蘇東坡、名月を吟じた李杜、蓮花を愛した周茂叔、菊を賞した陶淵明の如き、物質以外の趣味を解するものは四百餘州四億の民族中に、幾人もなからうと思はれる」。ともかく「無敎育の輩が多い」。確かにそうだろう。そうに違いない。《QED》