【知道中国 972】 一三・九・三十
――「・・・うっかりものもいえんなあ、と誰かが笑った」(火野の3)
「赤い国の旅人」(火野葦平 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
7人の案内人(=監視役)の中に1人、意外な人物がいた。柳田が揶揄していた例の亀田東伍である。些か穿った見方をするなら亀田が火野ら日本人一行を監視し、その亀田を中国人案内役が監視し、さらに亀田が中国人案内役を監視する。まさに親亀の背中に小亀を乗せて、小亀の背中に孫亀乗せての伝で、一行の旅は相互監視の旅でもあったに違いない。
最初の停車駅は石龍。構内に並ぶ露店に入ってみると、「店の中の壁に『滅縄数字公佈 表』というのが貼ってある。蠅をころした個人の成績表である。店にはいずれも蠅たたきがかけてあった」。
これまで戦前に書かれた多くの中国旅行記を紹介したが、例外なく“支那の汚なさ”に言及していたことは記憶されていることだろう。共産党政権が新中国、新中国と騒いだところで、公衆衛生に無頓着極まりない彼らの習性を一朝一夕で“革命的”に改められるわけがない。そこで共産党政権は「愛国公約」を定め、個々人に署名までさせさて中国人の衛生観念の向上に努めたようだ。つまり「滅縄数字公佈表」は、その一環だろう。
ところで、火野らの訪中から3年後の58年、毛沢東はゴリ押しする形で無謀極まりない大躍進政策を推し進めたが、その年の2月、共産党政権は「四害を駆除し衛生を講ずることに関する指示」を公布し、10年以内に蠅、蚊、鼠、雀の「四害」を徹底駆除する“大方針”を打ち出し、四害とそれが原因として発症する疫病に対する“大宣伝戦”を始める。職場、学校、農村などで週、月、年単位で成果を点検するなど、全土を挙げての四害駆除運動が華々しく展開されることとなった。
殊に雀の場合、人間サマにとって大事な穀物を喰ってしまうということで「臭虫」と呼び変え、徹底駆除運動となった。雀を見つけたら、総勢で鍋や釜を叩き音をたてて驚かせる。電線に止まろうものなら、ガンガンと。雀はおちおち休めないから飛び立つ。疲れて電線へ。またガンガン。そこで飛び立つ・・・これを繰り返すうちに奔命に疲れ果てた雀は地上に落下し捕獲される。これが全人民を挙げた人海戦術による四害退治の実態だ。
だが雀退治の戦果が上がるにしたがって、肝心の穀物に対する害虫被害が増大した。この時点なって、雀は臭虫などではなく穀物に害を与える益鳥だと気付く。かくして雀退治は即刻中止となり、雀の名誉は回復された次第だ。実にモノゴトの道理を弁えない連中だ。
この調子で反右派闘争からはじまり、大躍進、社会主義教育運動、文化大革命と挙国一致しての大騒動。その先に現われたのが鄧小平による「先富論」、つまり「商才の有るヤツはどんな汚い手をつかっても構わないからカネ儲けせよ!」の大号令となる。商業民族としては願ったり叶ったり。鄧小平サマサマだ。天下御免、カネ儲け万々歳。どうやら建国以来の中国に最も似つかわしい形容が“喧噪”で、相応しくないのが“静謐”の2文字。
再び火野の旅へ。しばらく進むと「部落にはどこも高い望楼様の塔がある」。若い案内人は「あれは昔地主が搾取していた時代は、農民の反抗をふせぐためのトーチカだったけれど、今は肥料倉庫になっていますと教えてくれた」が、この説明はおかしい。
火野が綴る車窓から見える農村風景から判断すると、どうやら線路の両側に広がる田畑で働いている農民は客家のようだ。客家は先住者の住む農山村一帯に後から移住してきただけに、先住者からするなら自分達の権益を侵す不埒モノであり“異質”な存在である。いわば広東の農村に出現したエーリアンということになる。そこで先住広東人農民は客家農民を攻撃する。これに対し少数者の客家はレンガで要塞のような集合住宅を建て自衛手段に打って出る。おそらく火野が目にした「高い望楼様の塔」は「農民の反抗をふせぐためのトーチカ」ではなく、客家の集合住宅が備えた自衛用の望楼だったはずだ。《QED》》