【知道中国 1669回】                      一七・十二・初九

――「支那は上海の大なるものとなるべき運命を荷ひつヽ・・・」――(前田7)

前田利定『支那遊記』(非賣品 大正元年)

 

清国が中華民国に代わったとはいえ、相変わらず中国人は中国人ということだろう。どだいDNAに自省の2文字が組み込まれていないからこそ、「清國の愚擧」であった義和団事件を、己が民族の問題として根元的に問い糾すこともないわけだ。「外國軍隊の銃劍の光を都府門内に閃かされ」ようが、「斯る屈辱を屈辱として心外に思ふ」こともない。飽くまでも清国は清国であり、中華民国とは違うという考えだったに違いない。地上から消え去った清国が犯した「愚擧」に対し、新たに生まれた中華民国が罪悪感を持つことも、責任を負うことも、発生に至る内外の要因を把握し民族的視点から再発防止策を立てることなど不必要と考えたとしても(実際に、そうではあるが)、なんら不思議ではない。

 

こう考えながら「中華数千年の歴史」を振り返って見ると、たしかにそうだ。彼らの歴史は自らを省みることなく、民族であれ政権であれ個人であれ、己の責任を全く考えることなく、原因を他に求め続けてきたのではなかったか。我われは悪くない、というわけだ。

 

前王朝は老百姓(じんみん)に思いを致すことなく悪行を重ねた結果、天から見放された。天の意思を失った王朝は倒される運命だ。そこで新たに天の意思を担った人物が起って腐敗堕落した前王朝を打倒し、新たに天子(皇帝)の位に就き、新王朝を打ち立てる。王朝の正統性の根拠は、天に見放された前王朝を打ち砕いた功績にあるというカラクリだ。

 

新中国を標榜した中華人民共和国にしてから同じだろう。悪いのは歴代封建王朝であり、王朝を支えた封建地主であり、人民を搾取し続けてきた地主であり、中国を蚕食することに励んだ諸列強であり、日本帝国主義であり、封建地主・資本家・帝国主義列強の走狗となった?介石であり、アメリカ帝国主義であり、ソ連社会帝国主義であり、毛沢東思想に反対した反革命・反動の右派であり、「走資派(資本主義の道を歩む一派)」と呼ばれた劉少奇・鄧小平らであり、毛沢東に逆らった林彪であり、毛沢東の掲げた文革路線を恣意的にネジ曲げた四人組であり、華国鋒ら毛沢東路線堅持派であり、一党独裁路線から逸脱し党の解体を目指した胡耀邦や趙紫陽であり、鄧小平を侮辱して天安門広場を占拠した「民主派」と呼ばれた烏合の衆であり、汚職不正を重ねる「トラやハエ」であり・・・不思議なことに悪が尽きることは永遠になさそうだが、自省という行為も永遠にみられない。

 

 

反右派闘争という「愚擧」も、大躍進という「愚擧」も、文革という「愚擧」も、共に毛沢東に扇動されたとはいえ、国民が挙げて勇躍として参加し、毛沢東が指し示す「敵」に向って理不尽極まりない仕打ちを繰り返したはず。にもかかわらず、今になってみれば誰もが“被害者ヅラ”をして知らぬ存ぜぬで口を拭ってしまう。挙句の果ては「毛沢東同志の生涯は、功績が七分で過ちが三分」と総括しているが・・・実態的には一切は不問。

 

80年代の中国で社会矛盾を告発する作品を次々に発表した映画監督の陳凱歌は、幼少期に育てられた乳母の教えを『私の紅衛兵時代』(講談社現代新書 1990年)に綴る。因みに両親が党幹部だったがゆえに彼の家では乳母が働いていた。幹部って、いーなーッ。

 

「昔から中国では押さえつけられてきた者が、正義を手にしたと思い込むと、もう頭には報復しかなかった。寛容など考えられない。『相手の使った方法で、相手の身を治める』というのだ。そのため弾圧そのものは、子々孫々なくなりはしない。ただ相手が入れ替わるだけだ。では、災禍なぜ起こったのだろう? それは灯明を叩き壊した和尚が寺を呪うようなものだ。自分自身がその原因だったにもかかわらず、個人の責任を問えば、人々は、残酷な政治の圧力や、盲目的な信仰、集団の決定とかを持ち出すだろう。だが、あらゆる人が無実となるとき、本当に無実だった人は、永遠にうち捨てられてしまう」。

 

「相手の使った方法で、相手の身を治める」の繰り返し。自省など考えられない。《QED》