【知道中国 1666回】                      一七・十一・初三

――「支那は上海の大なるものとなるべき運命を荷ひつヽ・・・」――(前田4)

前田利定『支那遊記』(非賣品 大正元年)

 

「支那人は一體物を創造する時は金力も勞力も惜しまず作り上げ候へ共出來上がりたる後はうつちやり放しで修理とか改良など一切致」さずに、「使へるだけ使ひ盡し大修理の必要起る時は別に新規に建て直す」とは、前田のみならずこれまでもみられた指摘だが、これは現代の中国にも通じるように思える。

 

たとえば文革である。新たな文明を「創造する」とぶち上げ、挙国一致状態で「金力も勞力も惜しまず」に狂奔したものの、時が過ぎると「うつちやり放し」。「修理とか改良など」のみならず反省すら一切なく、毛沢東の築いた30年ほどを「使へるだけ使ひ盡し」た後、「大修理の必要起る」や、次は対外開放・金銭至上主義によって「新規に建て直」し。「偉大なる中華文化の復興」「中国の夢」を「創造」し、「金力も勞力も惜しまず」に一帯一路に邁進しようというわけか。ならば国力を「使へるだけ使ひ盡」し「中国の夢」を「うつちやり放し」にするのは何時頃になるのか。その辺りが見どころだ。それにしても彼らのDNAに自省の2文字は刻まれているのだろうか。不思議極まりない民族だ。

 

前田は長江を遡って「英國居留地のある九江に着」。「日英同盟は結構なることは相違なく候へ共餘りに同盟だなぞと氣をゆるし居るは如何や将た又あまりに英國に氣兼ねするも如何やと存じ申候」と、日英同盟の現実に目を向けた。

 

それというのも我が「日清汽船會社の支店は立派に建てられ候」ではあるが、肝心の荷物の陸揚げ施設を「會社前面の水面に設置することを英人より制限せられて遥か川上の甚だ不利なる水面を利用せねばならぬよう餘儀なくせられ居り候痛恨事に御座候」とし、同盟国であればこそ、こういった「意地わるき制限壓迫を受けぬ樣」に「官民共に努力なされ度」と記す。だが、どうやら「英人は遠慮なく長江の先輩者たることを鼻にかけて我儘を働くのに日本人は馬鹿正直に内氣で氣兼ばかりして居るは商略上ほめたる話であるまじくと存候」と。それというのも九江の商略上の将来性を考えればであった。

 

それにしても「意地わるき制限壓迫を受け」ても、同盟を結ぶ相手国が「我儘を働くのに日本人は馬鹿正直に内氣で氣兼ばかりして居る」といった姿は、日米同盟下の現在を連想してしまう。やはり昔も今も、何故に「日本人は馬鹿正直に内氣で氣兼ばかりして居る」のか。ともあれ、この点を深く自覚・自省し、克服に努めない限り、「戦後レジュームからの脱却」は不可能だと痛感するのだが・・・。

 

とはいえ「九江には米國、支那、各一隻の軍艦淀泊」しているが、「我龍田も艦首の菊の御紋章を殘照に輝かして小氣味よくも江上に威嚴を示し居り候」。

 

九江を後に「滿山是鐵鐵是山」と形容し、「吾等の目には殆ど無盡蔵とも云ふべく悠久に盡くるの期あるべしとも思はれ不申候」たる大冶鉄山に向った。この鉄鉱山は「我邦軍器の獨立と密接の關係」があり、その採掘権については「世に隱れたる所謂無名の士にして虛名を欲せす一意專心御國の爲に盡し盡されつゝあるの人」、いわば「眞に忠良なる國家の一員」である「至誠の人の手」によって獲得されたことを特記する。

 

次いで列強が展開する「長江々上の角逐」に言及し、「列國の對清經營なるもとを見るに殆んと交通上の利權獲得に御座候」と切り出した。各国の政策を俯瞰するに、「支那を啓發誘尋し其生産力を増加せしめ延て己を利するの見地」に基づいてのものなのか、それとも「直ちに己が政治經濟上勢力範圍伸長の基礎とし所謂勢力範圍の劃定を豫期せるものなのか」――どちらであるかは即断できない。だが列強は従来から清国各地で「交通上の利權政策」を競っており、「列國が長江々上に於て多年激烈なる商戰をなし」ているのも、長江こそが「中清經營の鍵」であるからだ。この前田の指摘は現在にも通じていると思う。《QED》