【知道中国 1662回】                      一七・十一・念五

――「即ち支那國は滅びても支那人は滅びぬ」――(佐藤9)

佐藤善治郎『南清紀行』(良明堂書店 明治44年)

 

佐藤は「財力と計畫との基礎が乏しい」と指摘したうえで、「本邦人の中には本國に於ける失敗者の、赤裸々で往つた者などが多い」。さらには「居住後年を經ること尠く、經營の基礎が薄弱である」と指摘する。「本國に於ける失敗者」が一旗揚げようと腰かけ気分でやってくる日本人に対し、「歐米人は數十年來相當の資本を却して基礎ある經營をして居る」。では「基礎ある經營」とは何か。佐藤は、「例へば數多の資本を投じて支那人を敎化し、以て基礎を確實にしつつある」。一方、「本邦人は唯自己の經營に傾注し、未だ歐米人の如き經營の地位に達していない」。

 

かくして佐藤は、日本人が「數十年來相當の資本を却して基礎ある經營をして居る」欧米人に伍していくのは容易なことではないが、「多人數の國民が外國にて生活の資を得るだけでも國家の慶事である」と結論づけた。

 

佐藤によれば、「長江を上下する大船四十艘、噸數八萬七千噸。これは日清英獨の諸國が競爭的に經營して居る」。日本の日清汽船會社が、そのうちの3分の1相当を押さえている。同社に対し政府から相当額の補助金が与えられていることは、「本邦輸出品と居留民とを保護する」ことにつながる。

 

政府の支援もあり「居留民は増加し、運輸貿易事業、租界の經營も着々とその歩を進むれども」、イギリス人やドイツ人と比較すると「甚だ思はしくはない」。日清間は地理的には一衣帯水、歴史・文化的には同文同種、そのうえ日本は「東洋の盟主を自ら任じている」。だが長江以南の実情はイギリスはおろか「動もすれば獨逸の壓倒する處」も見られるほどだ。であればこそ「更に大いなる覺悟を要すると思う」。

 

それというのも、ドイツ人は「支那人の嗜好と需要とを研究し、その模様、形状の支那出來なるかを疑ふ位の品物を賣込」んでいる。これに対し「本邦人は需要を研究すること少なく、よい加減の品物を製造して送りつけ、賣れざる時は罪を買手に歸するといふ傾がある」。そこで佐藤は、「蓋し一省内に於てすら風俗習慣を異にする支那であるから、得意巡りをして需要嗜好等を研究し、大い我對清貿易を盛にするを必要と思ふ」と、市場調査の徹底を提言するが、中国市場における日独企業の対応の違いは現在にも通じるようだ。

 

さらに佐藤は筆を進めて、「若し支那の貿易額の一人頭分を現在の本邦分頭だけに昇すならば七十億」となり、その半額を日本が占めるなら我が国は大いに潤うことになる。だから対清貿易に励めということになるが、「油斷すれば支那に大工業が起つて本邦輸出を絶つのみか逆に輸入する事にもなるであらう。大いに覺悟せねばならぬ」と“警句”を発した。

 

対清貿易・通商関係についての佐藤の一連の“警句”は、それから1世紀ほどが過ぎた現在でも十分に通用するように思う。もっとも一衣帯水、同文同種だけは余計だが。

 

最後に「思想界に就いて一言」している。

 

確かに教育面、出版面をみても日本の影響は多大といえる。それでは「将來の支那は全く本邦思想によつて風靡せらるるかといふにさうは言はれぬ」。それというのも「本邦の影響を受けて居るのは外面」だけだからだ。彼の「國民性は自負で、近來は排外思想が全國に瀰漫して居る」。教育面でも実態的には「本邦の影響を受けぬは勿論である」。だが「一には人道」、「二には本邦が嘗て文化を受けし返禮」、「三には本邦經濟的發展の素地となすべく」、「四には政治上の變動に應ずる基礎である」からこそ、政府部内のみならず要路の元日本留学生への働きかけを「撓まず倦まず力を盡すことが必要である」と提言する。

 

「一」と「二」は一衣帯水、同文同種と同程度に余計なことだが、歴史を振り返ってみるに、我が国は「三」にも「四」にも対応できなかったように痛感するのだが・・・。《QED》