【知道中国 1660回】                      一七・十一・念一

――「即ち支那國は滅びても支那人は滅びぬ」――(佐藤7)

佐藤善治郎『南清紀行』(良明堂書店 明治44年)

 

次いで佐藤の筆は国家に及ぶ。

「孔孟が禪讓放伐を認め、易姓革命を認め、(中略)寧ろ善と認めている國柄であるから」こそ、力を持った「一英雄、一民族が起つて海内を征服して國を建つれば」、征服された大多数は「武力に畏れて屏息す」るが、それは「力に負けたのであるから」であり、ならば「力を得れば叛逆」してもよく、「叛逆の權利は萬民之を有す」るものである。そこで現に自分たちを支配している「朝廷の何時か滅ぶべき事は何人も信じて居る」ゆえに、苛斂誅求・暴虐政治に耐えても新しい朝廷の出現を待つことになる。ならば共産党朝廷も「毛」から「鄧」、「江」、「胡」を経て現在の「習」へと、典型的な易姓革命を経てはいないか。

 

「國内には相反目せる數多の異民族を包括する」が、「征服者と反政府者との勢力の不權衡から表面の平和を得ている」。そこで「實にお氣の毒の次第である」が「君臣の分が明瞭に定ま」らず「君を神聖視」することなく、「君を厄介視して居る」。「國民は惡魔除に税金を拂ふといふ心持で拂ふのである」。かくして「『政府は人民を保護するもの、』『官吏は人民に便利を與ふるもの、』などといふ觀念は、彼等の念頭にはない。唯害をなさなければそれで十分であると思つているらしい」のである。

 

「官吏は人民の利益を圖るなく、職務に對する誠意を缺いて官職を我利のためにし、偶事業を起せば私嚢を肥すに足るべき事業である」。だから「人民は決して官の保護にたよらない」。

 

やはり「支那の官吏の行爲は、それは言語道斷である」。じつは彼らは同情したくなるほどに薄給だが、「三年在職すれば三代は樂に暮らせる」。それというのも彼らは「賄賂を貪り官金を私するは役德であるとして平氣でやる」からだ。かくして人民に「不平を言はせぬ樣に誅求するのが腕利きの官吏」ということになるわけだ。さらにいうなら「官吏に休日なく又遊覽することが出來ぬ事になつて居るが、それは不規律なる支那人に守られているのではない。唯表面である」と。毛沢東は「為人民服務(じんみんのために働け)」を掲げたが、彼の政治は人民に塗炭の苦しみを舐めさせるだけだった。じつは毛沢東の記した「人民」の2文字は「俺サマ」と読むべきなのだ。つまり「俺サマのために働け」である。

 

それはさておき、毎度お馴染みの林語堂は『中国=文化と思想』(講談社学術文庫 1999年)に、中国人は「勧善懲悪の基本原則に基づき至高の法典を制定する力量を持つと同時に、自己の制定した法律や法廷を信じぬこともでき」る。「煩雑な礼節を制定する力量があると同時に、これを人生の一大ジョークとみなすこともできる」。「罪悪を糾弾する力量があると同時に、罪悪に対していささかも心を動かさず、何とも思わぬことすらできる」。「革命運動を起こす力量があると同時に、妥協精神に富み、以前反対していた体制に逆戻りすることもできる」。「官吏にたいする弾劾制度、行政管理制度、交通規則、図書閲覧規定など細則までよく完備した制度を作る力量があると同時に、一切の規則、条例、制度を破壊し、あるいは無視し、ごまかし、弄び、操ることもできる」と記し、これを「民族としての中国人の偉大さ」であるとする。

 

かく佐藤は「支那の官吏の行爲」が徹頭徹尾に「言語道斷」であることを論じているが、それが白髪三千丈式でないことは、これまで見て来た多くの先人の紀行文からも容易に判断できるはずだ。加えて言うならば、「支那の官吏の行爲」が決して過去ことではなく、21世紀初頭の共産党独裁下の現在においても一向に改まってはいないことは、これまた論を重ねる必要はないだろう。

 

「民族としての中国人の偉大さ」が「支那の官吏の行爲」を生み出すのかなァ。《QED》