【知道中国 1659回】                      一七・十一・仲八

――「即ち支那國は滅びても支那人は滅びぬ」――(佐藤6)

佐藤善治郎『南清紀行』(良明堂書店 明治44年)

 

「支那人は外交辭令に巧みなりといふ。成程これは慥に本邦人などの及ぶ處ではない。容貌を和らげ巧みに人に近づき、諄々として語るなど實に感心」ではあるが、「其の噓には驚く」ばかり。「誰も始めて支那人に遇へば快感を覺ふるが」、やはり「永く友情を續ける事は甚少ない」のも当たり前だ。

 

個人的であるうえに「噓をいふ事を何とも思はぬ國であるから」、本質的に「自らを恃み、自ら立つでなければ生存出來ぬ」。国家の力も社会の保護も端からアテにはならないし、アテにしてはいない。そこで「獨立自營で世を渡らんと」し、「如何なる苦痛にも耐へ、如何なる賤業をも辭せず奮闘する」。「本邦人は團體(國家、家族)の力によりて成功し、支那人は個人で成功せんとする」。「多くは飲食、色慾、賭博」のために「獨立奮闘」する彼らは、「見るも危險なる仕事をなして死して悔いぬ」ような「状態にて支那人は世界各地に擴がり、偉大なる蕃殖力を有つて居るのである」。その「偉大なる蕃殖力」があればこそ、「支那國は滅びても支那人は滅び」ないのである。

 

彼らの「個人的なるに次ぎて特殊なる性はその不精なること」。この「不精なること」が、「不潔なる、無頓着なる、頑固と見らるゝ」ことにつながっている。

 

「支那人は恐らく世界に於ける最も不潔なる民族であらう」。その原因は、「不規律にして無頓着なる性質」と殺風景で単調極まりない自然環境にある。「此の不潔は亦簡易生活といふ事」に繋がり、それゆえに「彼國の勞働者が如何なる不潔にも耐へて、平然と活動する」ことになり、これこそが「支那勞働者の畏るべき資格の一である」。

 

「支那人の物事に無頓着なる事は甚だしい」。たとえば「外國の敎師が或眞理を彼等に説」いたとすると、必ず「『それは孔孟が既に言つて居る』などと言つて居る」と応じる。無頓着であればこそ、「佛敎でも、耶蘇敎でも、回敎でも、如何なる宗敎が入つても決して衝突しない」のである。

 

「世人は支那人を評して頑固なりといふ」が、それは確固として自らの価値観を持っているからではなく、単に無頓着に過ぎないからだ。そこで「唯無意味に現状に安んじて改めんとはせぬ」。保守的ではない、無頓着なのだ。

 

その無頓着さの一例は「建築物の保存に表はる」のである。建物を建造したとしても「決して修理はしない」。「破損する迄用ゐて居る」。個人の住宅はいうにおよばず「殿堂佛閣皆此流儀で、少しく舊きものは草茫々の間に没す」る始末だ。

 

「國民性に就て猶一つ著しいのは氣の弱い事である」。「何故に彼の如く弱いか實に不思議」だが、たとえば「戰爭をやれば大旗を立て太鼓を叩き景氣をつけてやるが實は将卒共に戰ふ氣はない」。いざ戦争とは掛け声ばかりで、「實は戰ふ氣はなく、うまい處でより條件で媾和する爲にするが多い」のである。

 

では、なぜ戦争に弱いのか。その一因は「國家組織に歸すことが出來る」。だが、「平時に於て弱い原因」は、「利己主義」と「法律の不完全」さに求めることが出来そうだ。つまり「強梗は利益にならぬと悟つ」ているからだが、根本を考えれば「四千年の曲折ある歴史」にあるといえるだろう。それというのも、彼らの歴史は「屢人心を根柢より破つて沮喪しせめ、陰氣に陷らしめたる」からである。いわば興亡が重なり続く歴史を前にしては個人などムシケラ以下であることを知っていればこそ、時代の流れには逆らわないのだ。

 

「よく諦めるといふ事」も彼らの性質として挙げられる。たとえば車夫が「車賃を強請る時は滿面朱をそそいで來る」が、「此方にて大喝一聲し、迚ふる見込みなしと見れば」、さらりと諦めて引き下がる。如何に強がろうと、ダメと悟や諦めてしまうのである。《QED》