【知道中国 1655回】                      一七・十一・初九

――「即ち支那國は滅びても支那人は滅びぬ」――(佐藤2)

佐藤善治郎『南清紀行』(良明堂書店 明治44年)

 

佐藤は上海における日本居留民の実態を詳細に示したうえで、「以上説いた處で分明なるが如く、上海の日本居留民は歐米人に比して甚だ資力が劣つて居る」と結論づける。それでも「故近衞公、佐藤正氏等の發意に成りたる對清敎育の學校」である東亞同文書院については、「既に卒業して清國各地の會社商店等に從事する者四百五十名。頗る好評がある。現在生二百數十名。皆寄宿生活をなし、意氣軒高でやつて居る」と綴ることを忘れてはいない。

 

欧米人については、「本邦人に比して資本を携へ來つて、茲に活動し、又永住する者が多い」。そのうえ彼らは事業の基礎を固めている。たとえば「宣敎師などは支那の貧民兒童を集めて慈善敎育を施し、或は敎會の醵金によりて病院を起し、美名の下に自國の敎化を擴げ、勢力を張るが如き」である。さらに学校に隣接した印刷所では、「毎朝數十の支那職工に先づ祈?し讃美歌を唱へしめて然る後仕事に取懸るなど、なかなか基礎のある仕事をなし」ている。やはり彼らの「勢力の侮るべからざるものがある」というのだ。

 

そういえば我がジョン万次郎と同じ頃にアメリカに渡り、養子として育てられ、印刷技術を身に着けて帰国し、やがて聖書の印刷で莫大な財産を築きあげ、3人の娘を大財閥(孔祥熙)・革命家(孫文)・政治家(?介石)に嫁がせたのが宋嘉樹(チャールズ・ジョーンズ・宋、或はチャーリー・宋)である。彼は聖書印刷をテコに上海の欧米人社会に取り入る一方で、印刷ビジネスが生み出した莫大な資産とその資産によって育てられた3人の美貌の娘を手に中国社会の最上層中枢に強固な人脈を築いた。上海の欧米特権階層との人脈、3人の娘婿の影響力、そして莫大な資産――ジョン万次郎と宋嘉樹とを比較した時、そこに中国人と日本人の生き方の違いを感じてしまうのだが。

 

アメリカで受けた恩を生涯を通じて返そうと努めたジョン万次郎に対し、アメリカで築いた人脈をテコに中国社会でのしあがっていったチャーリー・宋。愚直なまでのジョン万次郎に対し、実利に敏(つまりはセコ)いチャーリー・宋。ウエットな万次郎に対し、ドライな宋。アメリカで学んだ英語に生涯を捧げたジョン万次郎に対し、アメリカで身に着けた印刷技術で商売を広げたチャーリー・宋。ジョン万次郎の生涯における日米関係に対し、チャーリー・宋とその一族を通して見えて来る中米関係――ジョン万次郎こと中浜万次郎に対するにチャーリー・宋こと宋嘉樹・・・アメリカというスクリーンに映し出された2人の生涯は、なにやら日米関係と米中関係の歴史を物語っているようにも思える。

 

佐藤は上海をぶらつく。

 

先ずは夜の散歩。「あまり物が見えぬから本國に居る樣に思はれる。生命財産の保護も日本と同一の樣に思はれて、閑靜なる田舎道を散歩せんと言」うと、上海在住者に止められる。それというのも、「彼支那人は晝間はさんざん外國人のために抑壓せられて居るが、夜陰に乘して多人數徒黨を組んで外人の所持品を掠奪する等の事がある」からだ。「外人の所持品を掠奪」した後、彼らは「租界外に逃げる。租界外は租界の警察權は及ばぬ。支那の警察へ頼んでも何にもならない。唯泣き寝入りとなるのみ」。

 

そういえば政治=権力に対する彼らの対処法は「上に政策あれば、下に対策あり」だといわれるが、「晝間はさんざん外國人のために抑壓せられて居る」ゆえに、夜陰に乗じて「外人の所持品を掠奪」して外国の領事警察の警察権の及ばない租界外に逃げてしまうというのも、彼らなりの対策というものだろう。

 

街では「丈の六尺もある印度巡査が昂然」と立つ。彼らに「睨まれると支那勞働者は身を縮めて通る」。だが「體格はよいが、元氣が抜け、言動は慥かに亡國人である」。《QED》