【知道中国 1632回】                       一七・九・念四

――「濫りに東方策士を以て自任す。此徒の心事最爲可憫」(阿川6)

阿川太良『支那實見録』(明治43年)

 

次いで阿川は「貿易に欠くへからさる貨幣之事を説」く。

なにせ全国各地で統一した貨幣制度がない。いわば悪貨は良貨を駆逐するから、対策として手形制度が発達し流通するわけだが、「支那の如き萬事不整頓不秩序」ならば当然のように「贋造不正の票子(てがた)往々市場に入り込む」。そこで北京には汚い身形で道端で屋台を構え「人の依頼に應し其の票子の眞贋を鑑定す」る「錢卓子」と呼ばれる商売がある。北京全体で「其數二百以上ありと云ふ」。彼らの連絡は緊密で、真贋鑑定に間違いはない。だが「此信用深き銭卓子」だが、その正体は「實に惡むべき紙幣贋造者の張本なり」。つまり警察官が、いや錢卓子は民間業者だから、さしずめガードマンということになろうが、それが盗人というわけだから、とんでもない食わせモノではないか。

 

なんとも奇妙、いや珍妙なカラクリだが、「然れとも社會の必要に迫られて不得止政府も之を不問に付し去ると云ふ」。かくて「支那政府が萬事萬物小害を捨て大利を取るの主義は此一例にても察知す可し」と。

 

先に述べた税関といい、我が国の政官財界の動きといい、錢卓子をめぐるカラクリといい、なにやら現在にも通じるように思えて仕方がない。とどのつまり日本式に「萬事萬物小害」に拘泥し続けているかぎり、「萬事萬物小害を捨て大利を取るの主義」には対抗し難いということだろう。

 

そういえば毛沢東は50年代末の反右派闘争、それに続く大躍進、さらには文革で、いったい、どれほどの数の犠牲者をだしたことか。だが彼にとっては死屍累々たる犠牲者の山など、独裁権力という「大利」の前では「小害」に過ぎなかったに違いない。「先富論」を掲げ共産党の権力基盤再構築という「大利」を目指した鄧小平にすれば、想像を絶する格差の果てに呻吟する人民の怨嗟の声など「小害」に思えただろう。経済発展至上を「大利」とした江澤民や胡錦濤の政権にとっては、おそらく公害などは「小害」に見えたはずだ。

 

かくして「中華民族の偉大な復興」「中国の夢」を掲げ毛沢東超えという「大利」を目指していると伝えられる習近平の立場に立てば、さて、なにが「小害」なのか。

 

党上層の不満分子(古来、「大患は忠に似たり」が鉄則である)、民主化を掲げる勢力、環境保護論者、現状不満をネットやSNSに訴える大衆、ウイグルやチベットなどの少数民族独立派など。国外に目を転ずれば、一帯一路に敵対する勢力、南シナ海問題に口出しするアメリカなど――あるいは、これらが習近平にとっての「小害」といえそうだ。

 

それにしても阿川の「萬事萬物小害を捨て大利を取るの主義」という指摘は、中国の動向を見定めるうえでヒントとなるように思える。そこで先ず為すべきは、彼らがなにを「大利」とし、なにを「小害」と見做しているかを見抜くことではなかろうか。

 

中華人民共和国建国以来の“疾風怒濤”を表すキーワードを思いつくままに拾い上げて見ると、三反五反、百花斉放・百家争鳴、反右派闘争、大躍進、人民公社、土法鉱炉、社会主義教育運動、文化大革命、紅衛兵、上山下郷(下放運動)、劉少奇謀殺、林彪事件、四人組逮捕、改革・開放、人民公社解体、独生子(一人っ子)政策、天安門事件、スネークヘッド、香港・マカオ返還、中台両岸関係、走去出、三個代表、和諧社会を経て現在の一帯一路から中華民族の偉大な復興、さらに中国の夢まで。

 

それぞれのキーワードが象徴する政治において、なにが「大利」で、なにが「小害」だったのか。これまで日本は、中国の求めた「大利」を「小害」に、逆に「小害」を「大利」に見誤りはしなかったか。「大利」と「小害」を取り違えたことが、中国に翻弄され続ける要因だった。ここに、日本の対中国外交における禍機が潜んでいるように思える。《QED》