【知道中国 980】                         一三・十・仲六

――「・・・うっかりものもいえんなあ、と誰かが笑った」(火野の11)

「赤い国の旅人」(火野葦平 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

揚子江中流に位置し、揚子江と漢水とが交流する地点に位置し、大陸中央部の要衝で知られる武漢は、かつて武漢三鎮と呼ばれ武昌、漢口、漢陽の3つの地域で構成されている。

一行は渡船に乗って武昌の桟橋を離れ、「漢陽を左に見ながら十五分ほどで、対岸の漢口桟橋着」。船が渡しを離れ揚子江の中ほどを進んでいる時、火野は「昔とちがっている光景」に気づく。それは、「揚子江の堤防が以前よりはずっと高く築かれていることと、見わたすかぎり堤防のうえで、何千とも何万とも知れぬ人たちが働いていることだった」。「この大規模な堤防工事が私の関心をひいた」。そこで質問する。

昨年大洪水があった。「昔なら長江が氾濫すれば、没法子、しかたがない、あきらめるしかない」だったが、いまは違う。昨年は「毛主席の指導の下、二十三万以上の人民が総動員して堤防をきずき、とうとう武漢市を自ら守った」。今年からはどんな大洪水があっても大丈夫なように「ああやって恒久的な堤防工事を急いでいる」。「蔣介石の時代にはこういうことは絶対にできませんでした」。「私たち中国人は長い間苦しめられてきて、なんでもすぐに、没法子といってきたものですが、解放後はそのことばをすてました。有法子――方法がある、やればなんとかなる。そんな風にかわりました」――これが中国側の返答だ。

「中国人が自信を回復したということは軽々に見すごすわけにはいかない」と感じた火野は、戦時中を振り返りながら「私は罪の意識におののき、拷問にかけられたような苦しさにとざされているが他の諸兄はいかがであろうか。人間を翻弄する歴史の妖怪性は、私がじかに攻略のために踏みこんだ土地ではない場所にきても、執拗に私にこびりついてはなれなかった」と、いま目にしている現実と戦時中の記憶とを重ねながら、戦時中の自らにこだわり続ける。

朝食のホテルで娯楽室にマージャンがないことに気づく。工作員によれば、「マージャンを禁止してしまったわけではないが、国民がやらなくなったという。新中国建設の目鼻がつくまでは、マージャンのような退廃的消費的遊戯は遠慮するように、と勧告したところ、ほとんどすたれた形になった」とのこと。

朝食後、一行を見物する黒山の人だかりの中をホテルを出発し郊外へ。「道がひろくなったと同時に清潔になったことだけはわかった」。とはいえ未舗装だったらしい。「砂ぼこりをまきあげる凸凹道を通って、漢水鉄橋のところに出た」ところで、多くの人民解放軍兵士を見かけるが、「肩章もなくゲートルもはいていないうえに丸腰なので、ひどくだらしなく見える」。

中国では昔から「好鉄不当釘、好人不当兵(いい鉄は釘にならない、いい人は兵士にならない)」といわれ、兵士とはゴロツキでもあった。いやゴロツキが兵士になったのだ。毛沢東は見事なメディア戦略によって解放軍兵士は「好人」だというイメージを植え付け、多大な支持を集めることに成功したのだが、どうやら実態とイメージとはかけ離れていたようだ。「ひろくなったと同時に清潔になった」道路に対し「ひどくだらしなく見える」解放軍兵士――このコントラストこそ、当時の中国の現実だったに違いない。

揚子江、漢水に架かる巨大鉄橋工事も進んでいる。「これまで支那人にはできないと考えられていたことが、着々と片はしから実現している。私はこれを恐れなければならないと思」い、「独裁専制政治の威力というものを考え」るが、続けて火野は「国策を貫徹するための全体主義ファッショ体制、愛国的国家総動員、現在の中国政治が赤色ファッショ体制であるかどうか私にはまだわからない」と判断しかねているようだ。だが、客観的に見るなら、「現在の中国政治」は紛うことなき「赤色ファッショ体制」だろうに。《QED》