【知道中国 1509回】                      一七・一・初二

――「其民は頑冥不靈を以て世界到る處に拒絶せられんとす」(教学2)

教學參議部『清國巡遊誌』(佛敎圖書出版 明治三十三年)

 

仏教による清国の世直し・立て直しを目的としているからこそ、「猊下今回の擧が尋常觀光の遊にあらざる所以」なのである。では、なぜ、そうせざるをえないのか。「序論……巡遊の御趣旨を明にす」には、「猊下の此擧ある固より一朝一夕の故にあらず、東洋目前の形勢に鑒み給ひ、佛教将來の盛衰に關して一日も坐視すべからざるものあり、乃ち斷然たる御決心を以て、此の未曾有の旅行を企てさせられたるに外ならざるなり」。以後、仏教の摂理と仏教における浄土真宗の役割について深甚なる考えが示されているが、敢えて割愛することとして、なぜ「清國巡遊」なのかについての記された部分を検討しておきたい。

 

「今日は一層切に佛教が適當なる宗教的動作の範圍内に於て國家社會の爲め貢献する所無かるべからざる一の理由」は、「他にあらず東洋目下の形勢」にある。「現に清國は方に五千年以上世界に價値ある名譽の歷史と、八十五萬餘方里天府の沃土と、四億餘萬勤勉の國民とを擧げて、歐洲二三列強が鴟梟飽く無きの慾に供せんとせり」。

 

では、なぜ清国は、「歐洲二三列強が鴟梟飽く無きの慾」の標的になってしまったのか。「清國が世界列國に對する總ての關係をして今日の如く急轉直下の峻境に驅りたるは明治二十七八年の日清戰爭與て力あり清國が他の海外諸國と通商貿易を開きたるは北京條約以來殆ど四十年に垂んとし全國の沿岸に現在三十餘箇所の開港地を見るに至れり今や歐洲各國は進んで通商以外更に勢力分配の目的を達せんとして熱中するものの如し」。つまり清国衰微の背景には、1860年10月24日にイギリスが、翌日にはフランスが、さらに20日後の11月14日にロシアが権益拡大を目指して清国と結んだ北京条約があるが、やはり直接的なキッカケは日清戦争にある、というわけだ。

 

この考えを敷衍するなら、清国が西欧列強から蚕食され弱国化することはアジア、わけても日本の独立と安全にとって大きな影響がある。その根底には北京条約に代表される西欧列強の飽くなき覇権争いがあるが、日清戦争は西欧列強の欲望に火を点けたという一面も持っていた。つまり勝利で終わった日清戦争は喜ばしい反面、清国における西欧列強の利権争いを激化させ、延いては清国を亡国の淵に追い込んだと考えると、日本にとっては功罪半ばするという見方も成り立つことになる。

 

次に西欧列強の清国蚕食の情況を各国別に示している。

 

先ずロシアはシベリア鉄道を満州に延伸し、「日本に對する防禦策なりとの口實を以て大連旅順の二要港を借得て此二港に滿州鐵道を連絡」し、「露が宿望たる西伯利亞鐵道南下の計畫と東亞に不凍港を得んとの希望を達し」たが、勢力範囲拡張の野望は止まるところを知らず、「蒙古及トルキスタン迄」も勢力範囲に組み入れ、さらには山西省の中央鉄道、さらには北京に繋がる内陸横断鉄道も「今日は皆掌中に収むるに至れり」。

 

次いでイギリスは、「威海衛を租借し以て旅順大連に備」え、満州南部沿海から北京を結ぶ鉄道は香港上海銀行の管理下に置いてシベリア鉄道の進出に備え、「揚子江流域一帶の地を其の勢力範圍内なりと聲言して清政府をして其不割譲を宣言せしめ」た。南部においたはフランスと勢力争いを展開し、「雲南に在ては西は緬甸よりラングーン線を延長して東は西江を利用して流に沿ふて雲南府と連絡を取らんとし廣西に在ては西江一帶の流域を割りて自家の籠中に収めんと」する。「将來縱横の鐵道は悉く是れ英國が勢力發展線」となり、かくして「清國の主權は年一念縮少を免れざるなり」。

 

フランスはカンボジア、安南を手中に納め、「東京安南地方に八十萬方里の領地を有」し、さらに「漸次勢力を雲南兩廣に伸ばさんと努め」、1898年に「清國政府に迫て同地方の不割譲を宣言せしめ」、広州湾租借をテコにして南方での「勢力を確立せんとせり」。《QED》