【知道中国 318回】                       〇九・十二・仲一

――卑屈、屈辱、無知蒙昧・・・この面汚し

12月10日、民主党の小澤幹事長はチルドレン140人ほどを含む600人を越える家之子郎党を引き連れ、「日中草の根交流」の大看板を掲げ、北京で待つ胡錦濤共産党総書記の懐へ飛び込んだ。なんせ飛行機は5便、北京の街を大型バス17台で移動するというのだから豪勢このうえなし。小澤は北京側が用意したロング・ボディーの超高級リムジーンで胡との“謁見”の場へ。

真紅の絨毯を足下に、眼は笑ってはいないが満面笑みを湛える風情の胡は、一歩前に歩みだし右手を差し出し“大歓迎”の意を装う。そんな胡を眼にすると、小澤は破顔一笑。同じく右手を前に恭しく胡の手を戴く。「閣下、臣小澤、一同を引き連れお約束通りに参上致しました」。対する胡の態度は、如何にも「よくきたな小澤。ういヤツよのーッ」。

次のシーンはチルドレンが次々に胡の手を押し頂いた後、横に並んでツーショット。あるチルドレンは感激至極の態で、「小澤先生と同じように強いカリスマ性を感じました」とさ。オレを小澤如きと一緒にするな――こんな、胡の苦笑が聞こえてくるようだ。

胡との会談に臨み、各議員へのツーショット写真という破格の服務(サービス)への礼を述べた後、小澤は「(来年の参院選では)野戦司令官となって勝利しましたら、外交政策も思い切ったことが可能になります」と、胡に向かって参院選での勝利を誓ったのである。

家之子郎党を引き連れての小澤の北京詣でを「長城計画」とか呼ぶそうで、なんでも日中の「草の根」が手を繋ぎ両国の間を隔てている洋上に眼には見えない万里の長城を描き、日中永遠の友好を築こうというのが狙いらしい。「オヤジさん」と信奉する田中角栄の意思を継承すべく、小澤はライフワークとして取り組んでいるとのことだ。

いまここで長城計画についてとやかくいう心算はない。ただ、北京側のタメにする厚遇に舞い上がり、自ら“卑屈”な振る舞いをみせる小澤を筆頭とする日本側の対応に、なんとも言い知れぬ怒りを覚えるだけだ。

思い起こせば文化大革命初期のことだ。当時の日本では、文革は共産党上層の権力闘争だとの真っ当な考えが押し退けられ、偉大な毛沢東が発動した人類史上空前の「魂の革命」という論調が大手を振って罷り通り、メディアや学界で持て囃されていた。そこで中国に赴いて文革を現地で体験し、活学活用したうえで日本でも「魂の革命」を起こそうと妄想するオッチョコチョイが表れる。社民党の前身である日本社会党関係者の中には中国まで出かけ、毛沢東語録の一部を書いた小さな看板をサンドイッチマン然と体の前後に下げ、中国の街を歩く“剛の者”まで登場したほどだ。無知蒙昧も極まれり、といったところ。

当時、文革が指導部最上層の命懸けの血腥い権力争いであり、闘いの帰趨が自らの日々の生活に直結していることを直感していたはずの中国民衆は、日本社会党関係者のトンマな振る舞いに戸惑い、苦々しく思っていただろう。自分が生き延びるためには昨日の友が今日は敵になり、今日の友を明日は敵に売る。神経をすり減らす際どい日々を送っていた彼らの前に、トンマな格好の“善意”の日本人社会主義者が“誠意”を込めて毛沢東と文革を讃えて登場した。ざぞかし驚き、その真意を訝り、最後には苦笑したに違いない。

小澤の長城計画に当時の日本社会党関係者の滑稽で卑屈な姿が重なってくる。その後、バチが当たって日本社会党は自然消滅だ。この法則に従えば小澤も・・・だろうな。《QED》