【知道中国 999】 一三・十一・念八
――「・・・うっかりものもいえんなあ、と誰かが笑った」(火野の29)
「赤い国の旅人」(火野葦平 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
北京西郊に建設されている広大な学校地区を見学する。「俳優学校、電影学校、郵電学校、師範大学、法政大学、医学院、航空学校、鋼鉄学院、地質学院、石油学院、林学院、工業学院、等等、見わたすかぎり学校のジャングル」である。「新中国が教育というものにそそいでいる意欲のはげしさは諒解され、将来を括目せずにはいられない」と、火野が感嘆の声を挙げれば、一行の中から「すげえなア」、「世界の文化の中心は、北京にうつるね」などといった感想が漏れてくる。全く度し難いばかりにノー天気でお調理モンだ。
メーデーの準備が整った北京の市内に引き返す。「天安門中央の毛主席の眼が、疾走する私たちのバスを追っているように見えた」。すると、すかさず「毛沢東というのは立派だね」。誰あろう、またしても常久だった。
いったんホテルに戻り、希望者10人ほどと連れ立って、火野は王府井の国営新華書店にでかける。「国営なので損がないのか、金のない勉強家のために書店が図書館がわりになっているのか、ロハ読者の態度は大ぴらである」。時折、解放軍兵士もみかけるが、大部分は若者だ。「書棚全体に、共産主義、社会主義、唯物弁証法、唯物史観、革命、解放、等の文字が氾濫していて、赤い国の文化の全貌がわかるようである」。
次いで訪れた「立ち読み坐りこみ読みが公然と許されていた」児童本専門書店での感想を、火野は「ここも無論赤い本ばかりで、なんの夾雑物も入っていない頭脳に、いきなり赤色教育をほどこすのであるから、その染めあがりは鮮やかなものにちがいない。選択の自由などはじめからないのである。絵入りの偉人伝がたくさんあるが、マルクス、レーニン、孫逸仙、スターリン、毛沢東、ホーチミン、金日成、などという赤い英雄の伝記ばかりだ。熱心にそういう書物に読みふけっている可愛い少年少女たちを見て、私はなんとなく肌さむい感じを覚えた。教育の大切さと恐ろしさとについて考えさせられた」と綴る。
火野が訪れた当時に児童本専門書店で「熱心にそういう書物に読みふけっている可愛い少年少女たち」を10歳前後とすると、生まれは1945年前後。ということは前政権トップの胡錦濤・温家宝世代に当たるだろう。世代論ですべてを語ることなどできはしないが、02年から10年間政権を掌握した胡錦濤・温家宝世代にせよ、12年からの10年間は政権の座に在るだろう習近平・李克強世代にせよ――ということは2002年から2022年までの20年間――共産党政権の中枢は、「なんの夾雑物も入っていない頭脳に、いきなり赤色教育をほどこ」されて育った世代によって占められるということを意味することになる。
今や、火野が「なんとなく肌さむい感じを覚え」た時から60年ほどが過ぎた。当時、「熱心にそういう書物に読みふけっている可愛い少年少女たち」は、「赤い英雄の伝記」で「鮮やか」に「染めあがり」、大躍進やら文化大革命やらの疾風怒濤の時代を生き抜き、現在の“強欲中国”の頂点に立つ。改革・開放の時代を謳歌し、右手で膨大な軍事力を誇示し、左手で世界第2位の経済力を掲げ、14億余の頂点に君臨し、「偉大なる中華文化の復興」「海洋強国の建設」「中国の夢」を叫んでいる。火野ならずとも、確かに「教育の大切さと恐ろしさとについて考えさせられ」るというものだろう。
「赤い国にみなぎっている勝利のどよめきの声を否定することはできない。ただ、なぜよくなったのか、そのよくなっている背後のものについて、まだ全的には肯定できにくい」と、火野は「赤い国」に疑問を持つ。だが「赤い国にみなぎっている勝利のどよめきの声」に煽られたのか、「常久さんは、もうすぐ(日本で)革命が成功するよう」に讃嘆の声を挙げる。常久に代表される手前勝手で妄想過多の恥曝しこそ、まさに日本の敵というべきだ。
それにしても火野は生真面目が過ぎた。それも日本人なればこそだろう・・・が。《QED》