【知道中国 1335回】                     一五・十二・仲二

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡76)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

近平政権が南シナ海の諸島嶼の領有問題に関し、アメリカなどの要求を撥ね退け紛争当事国に拠る2国間交渉を訴えるのも、その淵源は春秋戦国時代における国家間問題の解決の歴史に辿り着くことができそうだ。

 

ここで強大な秦を現在の中国、趙・韓・魏・燕・楚・斉の戦国6国をヴェトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシア、台湾などに重ね合わせることはできないか。かく考えるなら、やはりヴェトナム以下の国々は単独で中国に当たることは不可能に近いから、やはりここは合従策に拠るのが得策だろう。だが、昨今のヴェトナムの動きをみると連衡策に乗ってしまったようだ。ということは関係諸国を各個撃破することで、中国は南シナ海の内海化に向け一歩一歩と進んでいることになる。

 

じつは11月初旬、ハノイを訪問した習近平主席は、①老街⇔ハノイ⇔ハイホン間の381キロ(標準軌道・110億ドル規模)の建設に加え、②高速道路建設、③中国側が北部湾と呼ぶトンキン湾海域合同調査、④中国側による工業団地建設などでヴェトナム政府と合意した。腰の定まらぬオバマ外交が、やはり習近平政権をツケ上らせているのだろう。

 

月が替わって3月になると、薄皮を剥すように岡の体調も回復に向くようになった。

 

4日には久々に入浴する。裸の体を鏡に映し、「全身、肉は脱(そ)ぐ。僅かに骨皮のみ存す」。鏡に映った己の顔に、些かながら生気を感じたようだ。早速、床屋を呼んで髪を調えさせた。「気分大快」の4文字に岡の素直な気持ちが読み取れる。余ほどに嬉しかったに違いない。岡は綴る。

 

――香港は東西交易の要衝であり、出入りする帆船や蒸気船を合わせると年間で3万隻を越え、その賑わいは遥かに上海を凌駕する。港に停泊する蒸気船や戦艦から街頭に至るまで全て石炭よって動かされている。年間消費量は25,6万トンで、そのうちの10万トンは「我が三池の石炭」とのことだ。かつてはイギリス、あるいはオーストラリアの石炭が使われていたが、それらを三池炭が圧倒してしまった。ところが香港と日本との距離の3分の1にある台湾の?龍産が出回るようになった。品質は三池炭に劣る。だが新たな燃焼装置を使うと、三池炭は圧倒されかねない。(3月4日)――

 

その台湾は清仏戦争の戦場でもある。台湾、安南、朝鮮半島と安定はしていなかったわけだ。

 

翌(5)日、友人の肩を借りて室内を歩いてみたが、「腰下綿弱。(中略)少頃眩暈」。長く伏せていたからだろう。そこに領事館の田辺公使がやって来て、全権大使に任ぜられた伊藤参議が西郷参議と仁禮・野津の2少将を従えて動き出した、と告げる。

 

――北京滞在中も、上海に戻っても「韓事」を論じたが、とどのつまり今回の交渉は「域外」のことであり、日清双方が信頼を欠き齟齬が生じたがゆえに、今回の朝鮮半島での紛争に発展した。伊藤参議は天皇陛下から下された使命を奉じ、日清双方が互いの国情を理解するなら、喜びの中に無事帰国できるであろう。そうなってこそ「兩國の慶」というものだ。(3月5日)――

 

岡は朝鮮での一件を一貫して日清両国の相互信頼の欠如から生じたものと見做しているが、日本側のみが相互信頼の醸成を訴えても詮ないこと。清国側にも相互信頼醸成への外交的努力を望むべきだろうが、この時期の清国側には「宇内大變局」の危機感を持った指導者は見当たりそうにない。いやはや全く・・・昔も今も。

 

6日、机に寄り掛かり本をぺラペラとめくっているところに友人の王観察がやって来て話し込む。話題が学術に及ぶと、岡は病後にも拘わらず熱弁を振うのであった。《QED》