【知道中国 1333回】                     一五・十二・初八

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡74)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

町田領事の口にした「緑眼人」は、諸橋轍次『大漢和辞典』(大修館書店)を引くと「緑の眼。青い眼。胡人の眼をいふ。碧眼。」とある。「胡人」とは北方、あるいは西方(というものの、じつは中央アジア)の異民族を指すから、岡が記す「緑眼人」が「胡人」であろうわけがない。やはりここは「紅毛碧眼」、つまりは西洋人を指すと考えるのが順当といったところ。

 

中国の対外貿易が「緑眼人」、つまり西欧人の意のままに行われていることに憤りながら、町田領事は話を続けた。

 

「我が国と『中土』は海を隔てて向かい合い、最も近いところは2昼夜で、最も遠方であっても10日もせずに行き着くことができます。にもかかわらず商人の往来は無きにも等しいほどに微々たるもの。こういった情況を『緑眼人』の立場から見れば、宝の山を前にして手を拱いていると同じ。東洋各国を眺めると、安南・朝鮮は論ずるまでもなく、独立を維持できるのは『中土』と我が日本しかありません。

 

考えれば千年に及ぶ我が国の『風化(きょうか)』は、全て『中土』に由るものではありますが、『文教(きょういく)』だけは違います。『人情嗜好』はまた似通っているようでもあります。

 

今や『萬國(せかい)』は友好関係を掲げています。先ずは『中土』と友好関係を築き、近隣より遠方へ、親しい関係の国から関係が薄かった国へと友好関係を拡大し、『東洋大勢(アジアの安定)』を維持することを急務とすべきでありましょう。

 

武力で威嚇し虎視眈々と『遠畧(しんりゃく)』を狙うは、やはり『緑眼人』がなすことであります。我が国力からすれば彼らに劣るわけではありませんが、時の流れとして、そうは出来ません。あるいは我が国民が台湾・琉球・朝鮮における「事變」を忌み嫌い、最も親しむべき隣国を我が国とは「趨舎(しんろ)」が異なると看做すことは、やはり謬りの最たるものです」と。

 

この領事の主張を、岡は「此の言、我が心を獲たり」と評した。「遠畧」を逼る「緑眼人」こそが敵であることを忘れるな。日本と「中土」の間での台湾・琉球・朝鮮をめぐっての「事變」は、いわば大事の前の小事であり、「緑眼人」に侮られないように「東洋大勢」を守り固めることこそが大事というものだ。こういう考えが「此の言、我が心を獲たり」に繋がったに違いない。

 

25日、中国の新聞3紙はフランス海軍が中国側戦艦を斯波島に追撃した情報を盛んに流す。だが、どれも要領をえない。日本の「郵報」の記事が最も客観的に書かれているようだと考えた岡は、海戦の概要を綴っている。

 

――台湾に危機が迫っていることを知った清国の南洋艦隊は、開済・南?・南瑞・馭遠・澄興の5艦を応援に差し向けるべく上海の呉淞口を出港させた。そこでフランス側は、軍艦7艦を派遣し迎え撃つべく外洋で待機する。これを見た中国側の5艦は抵抗することなく、エンジン全開で四方に逃げ去ってしまった。フランス側は事前情報から馭遠・澄興の2艦が斯波島に逃げ込むのを探知し、夜間の水雷攻撃を敢行した。

 

その夜は春節の大晦日で中国兵は爆竹を放ち、酒盛りの最中。フランス4艦の来襲に気づきや大砲のメクラ撃ち。(2月25日)――

 

かくして南洋艦隊が壊滅的損害を被ったことは当然すぎるほど当然だった。それしても、である。新年を祝うべく爆竹を放ち、酒宴に興ずるとは。しかも作戦の真っただ中に、戦艦のうえで。やはり「中土」と共に「東洋大勢」を担うことは、ムリなようです。《QED》