【知道中国 1330回】                      一五・十一・三〇

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡71)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

当時のオーストラリアにおける日中両移民の比較は後回しにして、二木の話を続けたい。

 

「イギリスは守長(かんとく)を置きまして『中民』を管理しているわけです。メルボルンが繁華な都であり、豪農や大商人は皆郊外に住まいしており、郊外に広がる居住区までは線路が引かれ、男女ともに汽車で行き来しております。夜になりますと、どこの家でも厳重に戸締りを致し、往来には人の影は見当たりません。毎月初めには定期乗車券を買いますが、半値に割り引かれます。

 

『中人』の多くは福建・広東の『賤民』でありまして、ともかくも身に纏うのは『惡衣(ボロ)』で口にするのは『菲食(そしょく)』。なにからなにまで汚く臭く、どんな汚れ仕事だってやってのけます。かくして3、4年も経ちますと『千金(たいきん)』を稼ぎ出し、国に帰っていくわけです。

 

イギリス人は彼らを警戒し、やって来る者に対し『五十洋元』を徴収した後に上陸を許可するようしています。納められない場合は、上陸を拒否し追い返しております

 

オーストラリアの東南洋上にはプロシャが国旗を立て領土としている島がありますが、この島がインドへの航路の要衝でもあり、イギリスはプロシャの主張を拒んでおります。これにプロシャは不承知でして、この島がイギリス領というのなら防衛態勢を整えておくべきだ。イギリス人は住んでもいないじゃないか。ましてや軍の守りが見られないのだから無主の島というべきであり、イギリス政府がとやかく口を差し挟む筋合いの問題じゃなかろうに、ということです。フランスはフランスで、ニューカレドニア島の所属をめぐってイギリスと争っております」

 

ここまで聞いて岡は「百年之後。五洲大勢」に思いを馳せた。

 

――歐米の電線?艦(ぐんじぎじゅつ)は萬里(せかい)を馳逐(かけめぐ)る。狼呑虎噬(よわきをむしゃぶ)り、遠畧(しんりゃく)を專らにす。百年の後、五洲(せかい)の大勢、何の状(かたち)と爲らんか。(3月10日)――

 

欧米の先進諸国は最新軍事技術を駆使して軍備を増強し、地球の果てまでも軍隊を差し向け、弱国を貪り喰らおうとしている。道義も何もあったものではない。大国による剥き出しの欲望が国際政治を突き動かし、領土強奪が当たり前の時代である。岡が「百年の後」に思いを馳せた頃から130年余が過ぎた現在の「五洲の大勢」は、相も変わらず「歐米の電線?艦は萬里を馳逐」る。加えるに、今や「中国の夢」に「イスラム国」だ。やはり力なき理想は妄想であり、理想なき力は妄動ということだろうか。

 

さて二木の語る「五戸」対「四十萬戸」だが、「戸」を一家族と見做し、一家族平均5人として計算するなら、日本人の25人に対し中国人は200万人ほどになってしまう。当時のオーストラリアの人口は推定で750万人というから、200万では余りにも多すぎる。ある統計に拠ると、19世紀のオーストラリアにおける漢族の最多値は1881年の38,702人とのこと。現在のオーストラリアの人口は日本の5分の1前後の2500万人余で、「新華僑」とも呼ばれる1978年末の開放後の中国からの移住者を含めても漢族系は100万人超――などから考えても、二木のいう「五戸」はともかく、「四十萬戸」は実状にそぐわないだろう。

 

なぜ二木が「四十萬戸」という数字を挙げたかは不明だが、あるいはオーストラリアにすら根を張る中国人社会の実情を伝えたかったのかもしれない。日本人が考える中国人は本当の中国人ではありません。「惡衣」でも、「菲食」でも、どんな仕事(些か古い表現だが「3K」)でも厭わない。だが3、4年も経てば「千金」を稼ぎ国に帰っていくんです、とでも。「爆」の文字を使うなら、「爆食」「爆働」「爆稼」・・・昔も今も厳重注意。《QED》