【知道中国 1327回】                      一五・十一・念四

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡68)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

26日に来訪した友人が言うには、八戸弘光を名乗る日本人が広州を訪れた際、「日本が多くの軍艦を購入しているのは朝鮮征伐準備のためだ」と語ったとのこと。これを真に受けた中国人が著作に記し、それを知った「韓人」が「大いに疑懼を懷く」こととなった。おそらく昨今の日韓両国の間の行き違いは、この根も葉もない告げ口に起因している――こう考えた岡は、「そんな人物を日本人は知らないし、信用すべきではない」と諭す。

 

どうやら岡の時代、ありもしないことを“ご注進”に及ぶ不届き千万で愚劣な日本人が、既に暗躍していた。ということは教科書問題や慰安婦問題が起る遥か以前から、どうしようもなく“罪作りなヤツ”が跳梁跋扈していたということになる。

 

27日、友人がやって来て時事問題を論じ、「貴邦が遠交近攻の説に惑わされ、無智蒙昧を重ね弱い朝鮮を併呑しようと策略を逞しくするなら、それは蒙叟(そうし)のいう『黄雀が蟬を捕る』であり、蟷螂が自らの後ろに逼っている黄雀の存在を知らないということだ。であればこそ、とどのつまり日本の策略は成就しないだろうに」と問い質す。

 

「黄雀が蟬を捕る」は正しくは「蟷螂、蟬を窺い、黄雀、後に在り」と綴り、戦国時代の呉王・夫差に因んだ寓話である。弱国の楚を攻めるべしとの夫差の命令に、臣下は「楚を攻撃している間隙を衝いて、背後から強大な敵である越が攻めて来る危険性大」と強く諫めた。夫差は弱腰野郎どもと臣下に腹を立てたが、翌日、我が子の話を聞いて、己の短慮を深く反省し、楚攻撃を断念したというのだ。「庭で遊んでいるとセミが木の枝に止まって鳴いていまして、そのセミを狙ってカマキリが近づいていましたが、そのカマキリは自分を捕らえようと背後から黄雀が逼っていることを知らないのです」というのが、息子が庭で目にした光景だったとか。つまり目先の利益に汲々とするがゆえに、背後から逼っている危機に気づかない。思慮分別が足りないことを諫めることの譬えである。

 

いわば、その友人は朝鮮をセミに、日本をカマキリに、そして欧米列強を黄雀に喩え、日本が朝鮮を狙っているが、その実、背後から自分が狙われていること日本は気づかないと言いたかったのだろう。そこで岡は、

 

――いままさに「中土」は「法虜(フランスやろう)」に苦しめられ、たまたま朝鮮半島で突発事態が発生するや、我が国がフランス人と謀っているなどと疑心暗鬼に囚われる。揣摩憶測に振り回されるからこそ、こういう妄言を思いつくのだ。

 

ぜんたいに「中土」の「士人」は「域外大勢(こくさいじょうせい)」に全く疎く、葦の髄から天井を覗く式で妄想を膨らませるだけだ。大局的見地に立って客観的に冷静に物事を判断することができない。考えてみれば、「中土」が先ずアヘンを禁じ、アヘンに溺れる奴等を国内から一掃した後、アヘンは人体に有害であることを列強に広く伝え、その取引を禁じたなら、列強は「中土」の考えを尊重するに違にない。

 

「中土」が先ずウラジオストック港を開き、次いで大艦・大砲を備えて正面切ってロシアに対するなら、ロシアとしても黒龍江沿海を蚕食するようなことはしないだろうに。「中土」にとっての目下の急務は、欧米に倣って富強の策を考え、海外の国々に蔑ろにされない「大基本」を打ち立てることにあるはずだ。七年の病は快癒に三年を要するもの。やはり備えを怠ったなら、取り返しがつかないことになってしまう。

 

そうできるのに、そうしない。「中土」にとって、これほどに悔やむべきことはない。いまや事態は急だ。「父母邦(ちゅうごく)」のためとはいいながら、この種の荒唐無稽な言い草に付き合っているほどの暇はない――

 

学ぶべきを学ばず、為すべきを為さない。今も昔も困った隣人・・・ヤレヤレ。《QED》