【知道中国 1325回】                      一五・十一・念一

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡66)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

さて岡に戻ると、25日は雨の中を広州の名勝を廻り、中国人の友人2人と3人で筆談となる。そこで岡が「『中土』の街では、古来、かくも道路は狭隘かな」と問うと、「唐宋代以後、都市制度が崩壊してしまい、現在に至っているわけです」と。そこで岡は、

 

――その昔、イギリスの首都は道幅が狭く風通しは劣悪で、疫病が流行し、市民全滅の危機的情況に陥ったことがある。かくして都市制度を一変さて生まれたのが現在のロンドンだ。(1月25日)――

 

すると相手は「お説の如く市街地では疫病が多いので制度を一変せざるを得ないことはもちろんですが、これまで官民が慣れ親しんできた『慣習』が日常化している訳でして」と言い返す。岡に拠れば、この人物は「俊才」で時局を論じることを好む。舌鋒鋭く反論してくるが、どうにも外国事情に全く疎い。そこで、全体情況の中で自分の立位置が正確に捉えられない。そういった欠陥も踏まえてウソ偽りなく返答すると、いよいよ激昂する始末。だが、岡は率直に綴った。

 

――『大学』の一書は己を修め、人を治める道を説き尽くしている。己を修めることを論じて「格致」といい「誠正」という。人を治めることを論じて民を新たにするといい、「新民」を作るといい、日々新たにという。とにもかくにも数多の「新」の文字が並べられているが、そもそも「中人」は「格致の學」の神髄を語らずして、ただ後生大事に旧習を守っているだけだ。なぜ、そうなのか。皆目判らない。(1月25日)――

 

ここまで語ると、さすがの相手も口を噤んでしまう。岡は続けた。

 

――そもそも「中人」は経書の字面だけを丸暗記し、無意味に論争を重ね、意気込んで相手を論駁するために、経書の中から抜き出した1つ、2つの片言隻語を自分勝手に解釈し、相手を強引に論破しようと試みる。やはり非生産的である妄執を敢えて押し止め、相手を責める思いを腹に納め込み、自らを客観的に見つめ直すことの大切さを深く知るべきだろうに。(1月25日)――

 

さすがに岡である。「経書のなか抜き出した1つ、2つの片言隻語を自分勝手に解釈し」との指摘は、正鵠をえているといわざるをえない。

 

そこで文革時の無数の悲喜劇に思い至る。

 

たとえば一時は毛沢東の後継者に正式に認定された林彪である。彼がモンゴル領内で墜落死(?)した後の家宅捜索で書斎から自筆と思しき「克己」の2文字が発見されたとされ、「克己」の2文字は「復礼」に通じ、「復礼」とは儒教が唱える封建道徳である「礼」の復興を願っている。ゆえに林彪は中国人民にとって最大の敵である孔子の信奉者である。そこで「偉大的領袖毛主席」に反逆を試みた。だからブザマな最期を遂げたとしても、それは当然の報いだ、となる。ここまできたら、もうマンガとしかいいようはない。

 

映画監督の陳凱歌が「恐怖を前提にした愚かな大衆運動だった」と断罪する文革の初期、紅衛兵として「造反有理」を掲げて暴れ回った張承志は当時の闘争振りを振り返って、「神通力をもつ宝刀は毛沢東の言葉――『毛主席語録』だった。素早く毛主席語録を引用したものが論戦で優位に立った。これが文革初期の中国人民すべての基本的な政治スタイルだった」「ひょっとすると屁理屈をこねて横車を押し通そうとしたのかもしれない」「毛沢東語録に頼る当時の屁理屈や横車にも、権勢によって人をやっつけようという傾向が確かに存在していた」(『紅衛兵の時代』岩波新書 1992年)と自嘲気味に記している。

 

そして現在、習近平政権も「屁理屈をこねて横車を押し通そうと」している。彼らの振る舞いの基本が“こじつけ”と“いいがかり”であることを、肝に銘じておきたい。《QED》