【知道中国 1325回】                     一五・十一・仲九

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡66)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

背後から覗き見ると、兄貴は首筋にも汗を光らせていた。緊張感の極と言ったところか。しばらくすると舎弟の1人に二言三言呟いた後、彼は席を立つ。それとなく後をついて行くと厠所(トイレ)へ。鏡に映る自分の姿を眺め、顔を洗う。緊張感をほぐして、気分一新で鉄火場に臨もうというのだろう。一足先に戻ってみると、隣の有閑マダムは仲間と思しきド派手な衣裳の厚化粧と、バカ話をしながら平然と勝負をこなしている。

 

マカオのカジノで見た一瞬の光景から、日中両民族の比較などと言った大仰なことを引き出そうなどとは思はない。だが、博打・賭博を前にした日本の兄貴と香港の有閑マダムの振る舞いの違いは、余りにも対照的であり印象的だった。

 

一般に日本人は射幸心に身を任せることを好ましいことだとは思わないだろう。つまりリスクを取ることは不得手ということ。ところが彼らは、その反対。リスクを取ることを厭わない。いや過激なまでに積極的といっておこう。蔣介石に賭け大損し、次いで毛沢東に張って手痛いしっぺ返しを喰らい、最後の最後に鄧小平に縋ったところがドンピシャの大当たりで予想外の大儲け――これが現代中国の歩みではないか。羹に懲りて膾を徹底的に吹くのが日本人なら、羹なんぞに全く懲りずに次も貪欲に羹を頬張るのが中国人だろう。

 

1999年12月。そのマカオは2年前の香港に引き続き、中国に返還され中華人民共和国澳門特別行政区へと衣替えした。

 

帝国主義の亡霊のようなマカオから社会主義の“人民共和国”に「回帰」したのだから、てっきりカジノは全廃と思いきや、カネ稼ぎに関していうなら共産党政権は超強欲。いわば弱肉強食の超野蛮資本主義、いや有態にいうならヤッチャ場の化け物だった。

 

経営権を大々的に売り出すや、香港やらマカオの阿漕な金持ちが先を競ってカジノ・ビジネスに参入する。かくて巨大カジノを併設、いや超豪華な巨大ホテルを併設する巨大カジノが次々に生まれ、規模・取引額・客数のなにもかもが瞬く間にラスベガスを追い抜いてしまった。カジノ都市マカオの大発展だ。もちろん客は鄧小平に張った金満中国人。今風に表現するなら“爆買い”ならぬ“爆張り”である。

 

そんなある日、香港からマカオへ出かけてみた。留学生当時には高値の花だった水中翼船に乗って周囲を見渡すと、なんともシミッタレた風の客ばかり。これでは昔の薄暗い夜行船三等船室じゃないか。それもそのはずである。金持ち客は個人用超豪華ヘリコプターでアッという間にマカオの超豪華ホテル付設のカジノ、それも超VIP用個室カジノへとゴ案内~ッという寸法だ。

マカオに近づく。かつてはマカオのシンボルだった高層のリスボア・ホテルは、林立する超巨大ホテルや超豪華タワー・マンションの中に埋もれ惨めな姿を曝している。埠頭に一番近いカジノへ。体育館のように大規模なカジノの真正面に大きく「娯楽場」の3文字が。カジノではない。彼らにとっては飽くまでも娯楽場なのだ。巨大なドームに足を踏み入れると、無数のテーブルを前に、現金やらチップを握りしめた老若男女――ほとんどが中国からの――が躍動している。彼らの挙げる歓声がグワーンと丸天井に反響し、賭け事が醸し出す一種の“うしろめたさ”などは微塵も感じられない。まさに娯楽場、いや娯楽場としか形容しようのない、やけに生き生きとして明るい巨大空間だった。あるいは林語堂の顰に倣うなら、彼ら民族にとっては賭博もまた一種の暇潰しなのだろう。

 

今夏の上海で株価が乱高下するや、「股民」と呼ばれる零細個人株主が多い中国の株式市場は不健全で未成熟との声が聞かれた。だが、そんな“マトモな批判”が超巨大カジノに狂奔する股民に、ましてや胴元の共産党政権に通じるわけがないだろうに。《QED》