【知道中国 1321回】                      一五・十一・仲一

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡62)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

そこで2人の口を衝いてでた言葉は、「祖宗が国を闢いて以来、『威武』を示し忽ちにして内外を圧倒し、上は皇帝から下は庶民に至るまで、心安んずる日々を送り、戦乱はなかった。だが現時点を境に考えてみると、海防は破られ、外敵の跳梁を許してしまった。嗚呼、慨歎せざるを得ない」であった。

 

翌(19)日、50過ぎの白髪頭が訪ねて来て、「こんな南の果てまでやって来て、何か得るところはありますかな」と挑発的に問い質す。そこで岡は、

 

――過般、北京に遊び見聞したところから、これまで書物を読んで極めたと思っていたところと大いに異なっていることを痛感した次第。考えるに、どうやら従来の論者は「中土大勢(ちゅうごくのほんしつ)」まで極めていたわけではなかったようだ。

 

たとえば北京を考えるに、気候は寒く、人々は貧しく、物産は少なく、地勢は厳しく、殆どの生活必需品は数千里離れた地であり、皇帝が見向きもしなかった南方に頼るしかない。確かに、あなたが説かれるように、これまでも北京一帯が中国の中枢だとされてきた。古代から漢・唐の時代までは、あるいはそうだったかも知れない。だが考えれば今や世界は一変し、万国間の交流がはじまったのだ。イギリスにおけるロンドン、フランスにおけるパリ、アメリカにおけるワシントンを見れば判ることだが、首都は全国で最も便が良く、人々の往来が重なり合う要衝に設けられるものだ。かくして各国は競って繁華な首都を築くことで国力は百倍し、勢いを増す。「帝王の都府」は要衝の地に拠ってこそ、世界の国々に対処することが可能となるわけだ。

 

このような視点から現在の北京を考えると、地理的には北辺に偏り、要衝とはいえず、気候は余りにも寒く、街並みは貧相で零落し、余りにも遠すぎる。だから帝王が都を構える地としては相応しくない。やはり古に拘泥し今を蔑ろにし、常態に拘り、変化を等閑視したままで現在を語るべきではないだろう。

 

確かに(あなたが説かれるように)新疆をテコにして蒙古・甘粛・イリなどの一帯を掣肘するためには北京を中枢とする必要はあろう。だが、それでは「黑龍江兩岸千百里」の併呑を目指すロシアを押さえることは不可能だ。これこそが合理的判断というものではなかろうか。(1月19日)――

 

百聞は一見に如かずとはいうが、「書物を読んで極めたと思っていたところと大いに異なっていることを痛感した次第。考えるに、どうやら従来の論者は『中土大勢』まで極めていたわけではなかったようだ」とは、現在にも通じる“至言”だろう。

 

数日後、別人が訪ねてきて朝鮮半島での事態を論じ始めた。そこで岡は説いて聞かせる。

 

――朝鮮の事態は特異なことではない。「天」が「火槍輪艦電信諸機器」の開発を許すことがなかったら、東洋でも西洋でも共に国は国境を閉じ、民は日々の生業に安んじ、末永い平穏無事を楽しむことができたはず。最近の20、30年を振り返って見れば、それは判るだろうに。だが今や「歐人」は人類が数千年に亘って維持してきた営みを破ってしまった。既存の秩序は崩れ去ったのだ。「歐人」は「九萬里の波濤」を航行し、巨大戦艦で「東洋各國」に脅威を与え、自らの野望を満たすことが出来るようになった。このような事態は、近代的な「機器」が開発される以前にはありえなかったことだ。

 

今や東洋では「火槍輪艦電信諸機器」が用いられ、西洋諸国の狙い通りに成果を上げている。朝鮮は小国であり、どう考えても自立は出来そうにない。であればこそ朝鮮を襲ったような事態は、今後、踵を接するように起ることだろう。(1月20日)――

 

旧套を捨て、「機器」の変化がもたらす国際情勢を考えるべきだと、岡は説く。《QED》