【知道中国 1320回】                      一五・十一・初九

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡61)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

ここで、岡の旅行から95年ほどが過ぎた1970年代前半の香港での細やかな体験を。

 

某日の夜10時頃。年長の友人が面白い所へ案内するとタクシーで迎えに来た。闇夜を暫く走った先の岸壁には、すでに数人が待っていた。そこは防波堤に囲まれた風除けのための船泊である。暗闇から音もなく近づいた小舟に乗り込む。小舟が動き出すと、麻雀が始まる。暫くすると屋台の小舟がやって来たので酒と肴を注文する。やがて船上での小宴会が始まると、胡琴拉きも小舟で近づいてきて、「一曲、リクエストは如何ですか」と。そこで「ならば馬連良の《借東風》を」。目を閉じてジッと耳を傾けると、朧気ながら諸葛孔明に扮した馬連良の舞台が浮かび上がって来るから摩訶不思議。

 

心地よい夜風と舟の揺れに酔いを醒ましながら、船泊のなかをゆっくりと回遊する。やがて前方の暗闇がパッと艶やかに光り輝く。目を凝らすと、小舟が10艘ほど。船べりを連ね、舳先をこちらに向けている。

 

船の舳先には艶めかしく装った娼妓が座り、艶然と微笑みながら、目を閉じている。いや閉じているのではない、盲目なのだ。友人が「あれは、“そのため”に針で目を潰されたんだ」と。確かに娼妓は商売に精励すべく目を潰されるという話は聞いたことがあるが、その姿を我が目で見ることになろうとは。

 

彼女らの背後に垂れさがる赤く色鮮やかに刺繍された幔幕は真ん中で左右に分れ、隙間から淡いピンクの光が洩れる。近づいて中を除き込むと、赤い刺繍の床が延べてあった。いま思い起こせば、そこは岡が書き留めた「毎家貯妓。翠幄錦帳。宛然迷樓。皷板絲肉。喧無晝夜。嫖客蕩子。魂飛肉走。其連船隻。爲屋宅」の世界であり、古き好き香港のじつに不思議な世界だった。

 

さて岡に戻ると、それから数日、「其の殷賑?華は上海、香港以外、未だ目にせず」と形容するほどに賑わう広州の街を歩き、時に客人を迎え論じている。友人は「貴国は欧米を学び、『三千年禮義の邦』でありながら『其の舊』を一気に棄ててしまったことは、実に『痛惜』の念に堪えない」と難詰気味だ。そこで岡は、

 

――我が国の国是は「萬國の長」を取り、自らの足りないところを補うところにある。たとえば、我が国は「服制」を改めたが、私は「野人」であり「野服(わふく)」を纏っている。旧い和服であれ新しい洋服であれ、個人の意思による。ただ私は、時流というものに乗ろうとは思わないだけだ。だから「舊服(わふく)」を着用しているだけ。こいつは袖が長く帯は緩く、やはり腰かけるには不便だ。

 

ただ我が日本の立国の礎は「尚武」にあるわけだが、この服では銃を扱い難い。そこで断固として「舊服」を廃して、すべて欧米に倣ったということ。

 

欧米は戦争に勝れ、工業も発達している。ただ「倫理綱常(ひとのみち)」については東洋には往古から不変の道理がある。ならば、自らの道理を捨て去って、欧米のそれに倣うわけにはいかない。「倫理綱常」というものは、聖人が「天」の道を継承したもの。それを今に守る「我東洋各國」が「萬國」に卓越している点は、そこにこそあるのだ。

 

考えるなら東洋と西洋には互いに長所と短所とがある。虚心坦懐に考えてみれば、東洋の短所は10中7、8だが、西洋の短所は10中1、2というものだ。これこそが我が国が西洋の優れた点を取り入れ、我が国の劣った点を補おうとした要因である。

 

我が国の神道古典と西洋宗教の欠点を問われるなら、実例を挙げて詳細にお答えするが如何かな――

 

ここまで聞いて客人は大きく溜め息をつき、自国のダメさ加減を口にする。《QED》