【知道中国 1319回】                      一五・十一・初七

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡60)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

1月11日、岡は香港に上陸する。道路は立派に補修され、水はけの便を考え中央部が盛り上がっている。さすがに植民地経営馴れしたイギリスだけあって、自分たちの生活を第一に考えたインフラ整備が進んでいる。下駄ではとても歩けそうにない急勾配の坂道を岡は領事館に向うが、そこでイギリスからやって来た4人から、「フランスは新たに大軍を派遣し、スリランカもシンガポールもフランスの軍艦が碇泊していない港はないほどだ。『中土』はいよいよ多事多難な情況を迎えることだろう」と最新情報を聞く。再び戦雲が立ち込め始めた。

 

翌(12)日、香港の街を散策。たまたま目にした兵営では三階建ての兵舎の周囲に花々が咲き乱れ、まるで「王侯の荘園」のようだ。紅色の「閑雅」な軍服に居ずまいを正し、イギリス兵は往来を颯爽と行き来している。山を背に海軍病院が、戦艦には陸軍病院が設けられ、海で病んだ者は陸で、陸で病んだ者は海で治療することで病気回復を早めるとの試みだ。なにもかもが整ったイギリス軍である。そこで岡は、

 

――「洋人」は兵たることを楽しんでいる。これに対し「中人」は「游手(プータロ―)」を集めて兵とする。「頭會(かんぶ)」は勝手気ままに税を取り立て、人々を犬馬の如く扱う。これでは戦う前から勝敗は明らかだ。(1月12日)――

 

確かに「游手」を強制的に駆り集めて仕上げた軍隊では、「戦う前から勝敗は明らかだ」ろうに。イギリスの香港領有がもたらした変化を、

 

――当地をイギリスが開いてから僅かに42年に過ぎないが、各国は外交館を置き外交官を派遣し、地政学のうえから「東洋各國を控御(おさえ)」ている。これこそ、常日頃から唱えている『宇内(せかい)の大變局』というものだ。(1月12日)――

 

その夜、友人と酒を酌み交わしながら語った。

 

――清仏戦争が始まって以来、香港は局外中立を宣言して来た。フランスの戦艦が糧食や燃料の石炭を求めると、東に向かう場合には台湾で、西に向かう場合にはサイゴンで調達すべしと伝えていた。だが前日に入港したフランスの戦艦を修理しているが、中立法を犯す行為といっていい。同盟というものは、戦時体制を布いたうえで局外中立を宣言すべきものだ。いま清仏両国は交戦中だが、中立を宣言する同盟国は現れない。やはり万国公法(こくさいほう)は東洋諸国では未だ行われていないということか。(1月12日)――

 

15日、香港を発って珠江を遡る。零丁洋やら虎門やらアヘン戦争の激戦地を過ぎると、やがて船は広州の港へ到着し、「舌學(かんとんご)」を学んでいる広瀬二郎の出迎えを受けた。

 

翌々日、広瀬を訪ねる道すがら岡は大小無数の船が屯している情景に出くわすのだが、そこに数10隻を繋ぎ合わせ大邸宅のように設えた施設があった。通路が縦横に通じ、陸上と見紛うばかり。水上の歓楽街だった。以下、原文をそのまま書き写しておくが、漢字が醸し出す雰囲気から岡の目にした情景が感じられるはずだ。確かに漢字は感じ。

 

――毎家貯妓。翠幄錦帳。宛然迷樓。皷板絲肉。喧無晝夜。嫖客蕩子。魂飛肉走。其連船隻。爲屋宅。豈恐其淫蕩傷風俗耶――

 

客待ちする娼妓たちの艶姿は、店先に下がる色鮮やかな暖簾に隠れて見えない。暖簾をヒョイと跳ねあげた店内に入ると、そこは陶然たる雰囲気に満ちた別世界。男心を誘う調べがゆらぎ漂い、昼でも夜でも耳朶に聞こえるは嬌声と歓声。遊冶郎の魂は舞い踊り、放蕩者の肉欲は猛然と飛び跳ねる。船べりを連ねて作られた歓楽街の佇まいは、怪しくも脂粉の香に満ちて淫蕩(とろ)けるような・・・頽廃の世に堕ち行くこと必定だ。《QED》