【知道中国 1316回】                      一五・十一・初一

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡57)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

明治17年の大晦日。友人らと酒店(ホテル)で盃を交わした後、「旅館寒燈に獨り眠れず」。そこで漢詩を作りつつ除夜を送った。

 

明ければ「明治乙酉十八年一月一日」である。宿の人々と新年の挨拶。上海在住の日本人は衣服を調え公使館に向う。「正堂安 皇上御影。三拝祝壽」というから、公使館の大広間に置かれた明治天皇の御真影に向って、全員で「天皇陛下、万歳」を三唱したのだろう。

 

翌日、友人と連れ立って北門から入って上海城内を散策する。岡の目に映った上海市街の正月風景とは・・・

 

――門外は乞食だらけ。身に着けているものはボロボロ。チンバ、ビッコ、鼻欠け、メクラ、ツンボ、オシに得体の知れない病人・・・ぞろぞろと後を着いてきて銭をせびる。建物は雑然としていて道は狭く、臭気が鼻を衝き耐え難い。行き倒れ死体も目に付く。「愕然」とする連れに向って、「狼狽えるな。驚くほどのことではない」と声を掛けた。

 

ある店に入ると、男女が膝を交えて茶を飲んでいる。彼らと違った我が身形を目にして、ヒソヒソ話だ。連れは表情を一変させたが、まあまあと押さえた。室内に入ると男女が横になって「洋烟(アヘン)」を吸っている。顔色は失せ、まるで死体の間を歩いているような心地だ。どんどんと炭を熾し大釜でモノを煎っている。部屋に充満するのは悪臭だ。連れの質問に「烟膏(アヘン膏)の製造だよ」と応えると、忽ちにして顔色を変える。

 

外に飛び出し池心亭に向う。建物は壊れ、池の水はどす黒く濁ったまま。幼い乞食が後を着いて来るが、臭くて堪らない。失望した連れは速足になって宿舎に戻り開口一番に、「今日、初めて『動物博覧會』目にした」と。不覚にも失笑してしまった。

 

「中人」は自分たちの「衣冠文物」を大いに誇り、文章は馥郁として「天仙」のようだと形容し、姿かたちは華やかでまるで「神人」だと自慢する。だが、そんなのは、士大夫といえども千人に1人か2人だ。市井の庶民ときたら文字は知らないばかりか「鄙猥醜穢。卑汚賤陋」。外国人が目にしたら、野蛮でムシケラと同じように見えるだろう。ヨーロッパ留学の連れが口にした「動物博覧會」・・・なんとも愉快だ。(1月2日)――

 

翌日も連れと一緒に中国人の友人に龍門書院に案内された。立派な垣根で囲まれた書院の内部は、回廊が巡らされ、満々と水が湛えられ池には壮麗な橋が架けられ、所々に四阿と樹木が配され、まるで外の世界とは較べものにならない別天地だ。

 

――「中土士大夫」と市井の「小民」との間の貴賤の隔たりは天と地ほど。いみじくも、この光景が物語っている。上海は大きな川が交わる要衝であり景勝地でもあるが、市街の水路は塞がれ、チョロチョロと水が流れている程度。その水で女性が「穢器(おまる)」を洗い。その隣で人足が売るために飲み水を汲んでいる。友人の1人が、上海県当局が市街の埋まってしまった水路を浚って大きな川との流れを繋げれば、さほどの労力を使わなくても「穢氣」は雲散霧消し、「毒熱」が原因となる伝染病も抑えられるだろう、と某雑誌に発表した。

 

とどのつまり役人たるも劣悪な環境に関心を払うことなく不衛生極まりないままに打ち捨て、豪商はただ金儲けに奔るだけ。公益を興して民衆に利益をもたらそうなどと考えることもない。これまた「一代の弊習」というものだ。(1月3日)――

 

役人は自分のことだけで豪商はカネ儲けに固執するのみ。となると21世紀初頭の現在と大差ない。どうやら中国人の心根は19世紀後半以降、いや遡れば遥か遠くの古代から、一貫不惑だったと考えても差支えないだろう。歴史に根差した、完全無欠で伝統的な、ブレることなき超自己チュー。中華民族の偉大なる復興よ・・偉大過ぎます。トホホ。《QED》