【知道中国 1304回】                       一五・十・初七    ――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡45)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

11月も末になると、天津は「寒、甚だし」。その寒さのなかをやってきた友人が、「『衙門大官(せいふこうかん)』のなかでは1人として和平を口にする者がいませんが、どう考えられますか」と。そこで岡は、

 

――防備を固め自らの土地を死守する覚悟の民がいるならいいが、「中土」の朝野は果たしてそれだけの覚悟をお持ちかな――

 

すると先方は岡の質問に答えることなく、「じつは知り合いの結婚式がありまして・・・以後は他日ということで」と、そそくさと帰ってしまった。

 

――確かに「中土」では結婚と葬儀を重んじてはいる。だが国境に「強寇(しんりゃくしゃ)」が現れている非常時にまで結婚の豪華さを誇ったところで無意味だろうに――

 

11月26日、李鴻章からの招請を受け総督署に向う。岡を出迎えた李鴻章は開口一番に「曲阜の孔子廟には行かれましたかな」。そこで「内陸部の人心は荒々しく、外国人の旅行には不向きでして」と。あらかじめ岡は自著の『尊攘紀事』を贈呈していたのだろうか。李鴻章は、「あなたの著書は説得力があり、説くところは雄偉なり。あなたは素晴らしい才を持ちながら『樗散(やくたたず)』に甘んじているようだが、貴国の現政府とは考えに違いはないのですか」と。そこで岡は、

 

――維新の大業は西南雄藩より起りました。「小人」は東北人でありますがゆえに、政府幹部は「小人」を用いませんし、また「小人」も彼らに諂うことを望むものではありません。わざわざ異論を口にしているわけではなく、自らの使命を全うするのみです。

 

我が政府のうちでは誰を相手にすべきかとのご下問ですが、亡くなられた岩倉大臣と大久保参議に比肩するようなものはおりません。

 

伊藤参議の人物像に関するお尋ねですが、「是人」は20年前に攘夷の主張に疑問を持ち、イギリスの船に乗り込み、「賤業(よごれしごと)」に従事しながら海外を見聞したほど。やはり並の人物ではありません。

 

(やがて時事問題に議論が移る)現在、内外は閣下が動かれることを大いに待ち望んでおるところ。「是の機に乘じ、大策を建て、大勢を運らし、禍を轉じて福と爲し、危を變じて安と爲さん」ことを切に望む次第です――

 

これに李鴻章は「我が国でも20年前の貴国と同様に攘夷論が盛んではありますが、考えますに5年を経ずして消えてしまうでしょう。恥ずかしながら『老夫(やつがれ)』は大役を仰せつかってはおりますが、責任は甚だ重いもの。暇を請いて悠々自適を望みはするものの、そうもできそうになく。『足下(きこう)』のように世間とは交渉を断ち、海外を漫遊し、大いなる志を満足させておる姿が実に羨ましいかぎりだ」と。続いて岡の従者に向って「旅行資金は充分かな」。すかさず従者は「極めて愉快な旅を続けております」と。

 

夕暮れ時となり、部屋に灯がはいる。仲介した中国の友人に促され、挨拶の後、李鴻章の許を辞去し、日本公使館へ。そこで待ち構えていた榎本公使は、「李鴻章は数々の難局に当たってきましただけでなく、外国事情にも明るい。『中土』では彼以外に人物はおりません。だが訪問客は中国人はイエスマンのみで、外国人は『諛言(おべんちゃら)』が多く、却って彼の判断を誤らせてしまう。どうやら期待外れになるのでは」との考えを示す。かくて岡は、

 

――果たして斯くの如かれば、将に老いを知り、耄(ぼけ)、之に及ばんか。姑くは記して五年の後を待たん――

 

冷たい北風が吹けば川が、凍り船は動けない。天津の日々も残り少ない。《QED》