【知道中国 1301回】                       一五・十・初一

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡42)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

いわば異民族に征服されているという事実すら忘れ去ってしまったような頓珍漢は、岡の苛立ちを気づかぬ風だ。さらに「若い頃は心弾ませて学問の道に進みました。後に古代の文字学を知り、一心不乱に学んだものです」と自慢げ。そこで岡は切り返す。

 

――清朝では確かに古代の文字学は格段の進歩を遂げたとは言うが、それによって何か得られましたか。大学者が著した著作の「一半は無用」なのです。況や「餘唾を舐める者」をや。やはりヨーロッパの現状を考えれば、「學弊」は明らかでしょう――

 

ここまで聞いて少し悟ったような相手は、「やはり壮年は一生懸命に学ばなければなりませんな」と。ここまではよかったが、「ところで、『東人(にほんじん)』は『洋烟(アヘン)』を吸いますかな」と。そこで岡は「洋烟は國禁なり。國人、洋烟の何物為るかを知らず」と。すると相手は怪訝な顔。かくして岡は、「中土の儒流、事を解せざること往往にして斯くの如し」と呆れ果てた。

 

翌日(11月17日)も、自家撞着・夜郎自大・尊大自居ぶりを存分に発揮する「中土の儒流」と相対することになる。友人の次男を含む少壮の10数人が訪ねて来て教えを願い出た。そこで「僕、妄りに狂言を發し左右に敬を失す可からず。諸君は年少たり。僕に一事有り。切に諸君に問わんと欲す。諸君、能く教える所有らんか」と。すると「皆、誨(おしえ)を請う」。そこで切り出す。

 

――凡そ「士人」が学問読書するのは、まさに「當世(いまげんざい)」に役立てようとするからである。今や「法虜(ふらんすやろう)は猖獗を極め、福州は破れ、台湾は僅かに保ってはいるものの、「中土」は存亡の危機にある。「諸君、何の策ありて目下の急を濟(すく)わんか」――

 

すると1人が「『法虜』には我慢なりません。『中土』は大挙して征伐の軍を起こし、一撃の下に撃破し、兵も軍艦も西方に逃げ帰れないようにしますから、『先生の憂悶』には及びません」と。そこで、

 

――それでは台湾を守っていた張佩編と同じだ。彼は滔々と万言を費やしていたが、フランス軍艦の放った一発の砲声を聞くや腰を抜かし、部下の兵を残して遁走したのだ。「兵(いくさ)は口舌筆冊(くちさき・ふでさきのこと)」ではない。私が伺いたいのは、そんなことではない――

 

すると、その若者は席を立って去っていった。残った者は「黙然」し、暫くすると「敢えて大教を請う」。そこで岡は切々と語る。

 

――諸君は科挙を目的に学問に励み、万巻の書は頭の中に納まり、一たび筆を動かせばたちどころに千言をものする。「堂堂たる天下の士」だ。だが今や「國家大變に際し」、天下の急を救う有効策も奇策も打ち出せない。何のための学問だったのか。いまや「宇内大勢(こくさいじょうせい)」は一変してしまった。一日たりとも「外事(がいこう)」をおろそかにはできない。

諸君は科挙のための学問に励む余暇時間を使って「譯書」を読み、西欧が如何にして今日の「富強」を達成したかを学び、「千年陋習迂見(トンチンカンなうぬぼれ)」を一変させる策を考え出すべきだ。これこそが「聖賢の心術」であり、「有用の學術」というものだ。科挙こそ「天下を誤らせるの本」である――

 

ここまで聞くと、「衆、或は否、或は然。議論紛然として遂に其の要領を得ずして散ず」。ということは議論百出で結論が出ぬままに10数人は岡の許を辞去したということだろう。

 

「千年陋習迂見」を今風に言い換えれば、やはり「中華民族の偉大な復興」ですね。《QED》