【知道中国 1299回】                       一五・九・念七

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡40)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

とどのつまり毛沢東が激怒しようが、鄧小平が苦言を呈しようが、賄賂が止むことはない。根絶されることなど未来永劫にありえないだろうが、それでも贈る方も収める方も、雀ならぬノミの涙ほどには“後ろめたさ”を持ってもよさそうなもの。だが徹頭徹尾にアッケラカン。それというのも賄賂は文化であり、文化とは《生き方》であり《生きる形》だからだ。中国人が中国文化に生きる以上、賄賂は永遠に不滅と考えて間違いないだろう。

 

そこで参考までに、次の主張を一読願いたい。

 

  • 「(裁判官も中国人であるからこそ賄賂によって刑が)判決通りに執行されないことを知っている。だから、それを念頭に、刑期を本来科すべき長さの二倍にしたのである」

 

  • 「上級官僚は、あることが実行されているかどうかを調べるように下級官僚に命ずる。すると下級官僚は、実行されております、と恭しく報告する。だが実は、全く何も実行などされていないのだ。しかしながら、多くの場合はこれで一件落着となる。だが、もしある方面から圧力がかかり続け、しかもその命令が緊急を要するものならば、下級官僚はさらに下級の官僚に圧力をかけ、彼らに責任を負わせてしまう。そして、圧力の勢いがなくなってしまうと、また旧態依然とした状況が続くことになるのだ。しかし、中国ではこれを〈改革〉と呼ぶ。例えば、幾度も発令された阿片販売や栽培の禁止令のように、大規模にしばしば行われるのだが、結果は御存じの通りなのである」

 

  • 「中国人は自身の欠点を咎められている間、忍耐強く、注意深く、真心さえ込めて耳を傾け、快活に同意し、そして言う。(中略)あなたが指摘した点について、即座に、完全に、永久に、改めると約束する。これらのもっともらしい約束は、〈鏡に映った花〉や〈水面に映った月〉のごとく、実体を伴わないものだが、あなたにとって慰め程度にはなることだろう。しかし、その慰め程度にはなる、ということこそが彼らの狙いなのだ。この点に、是非とも留意しておいて頂きたいのである」

 

  • 「(髪の毛はどちらの方向にでも自由に曲がるものだが)人間の頭には、成長する方向が決まっていて、方向が変えられない束状の毛が生えていることがある。そのような生え方の髪は、俗に〈逆毛〉と呼ばれている。逆毛は自在に曲げることができないので、それ以外の髪がどれほど多くても、逆毛に合わせて調髪しなければならない。もし、我々の住む惑星を頭と見なし、諸民族を髪の毛と考えるならば、中国人は立派な〈逆毛〉だ。櫛でとかしたり、散髪したり、剃ることもできる。しかし、以前と同じ方向で生えてくるのは確かで、その方向は変えられそうにない」

 

  • 「中国においては、(中略)『全体は、部分の合計に等しい』という公理も真実ではない、という知的現象がみられる」

 

以上は、「〈中国問題〉は今や中国の国内問題ではなく、国際的な問題となっている。二十世紀には、中国問題は現在よりもより一層差し迫った問題になるだろう」と語るアメリカ人宣教師A・H・スミス(1845年~1932年)が、1894年に出版した『Chinese Characteristics』(『中国人的性格』中公叢書 2015年)からの引用である。

 

19世紀末に「中国の国内問題ではなく、国際的な問題となっている」とされた〈中国問題〉は20世紀に解決されずに持ち越され、21世紀初頭の現在の世界にとっては「より一層差し迫った問題にある」。だが、解決への糸口はみつかりそうにない。習近平との会談に臨むに際し、オバマがスミスの著書に目を通し、先人の30数年に及んだ現地体験から得られた分析に従い、〈逆毛〉にとっての「改革」「約束」「全体」などの内実を弁えていたなら。

 

「立派な〈逆毛〉」とは・・・過激で適切。さて道草を切り上げ、岡に戻りたい。《QED》